旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

人生は旅!音楽も旅!音楽一筋40年トミー爺の旅日記。"音楽" "グルメ" "ラーメン" "旅行" "ダイエット"などを独断と偏見の哀愁目線でお伝えするブログです。

トミー爺、渋沢栄一記念館に行くの巻き、、、

お疲れ様です。

お元気ですか?

 

今回は先日、カミさんと埼玉県に行く用事があり、ついで今、大河ドラマで大人気の渋沢栄一の故郷に行ってみよう…と、、その時の話を紹介させてもらいますね

 

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お父さん渋沢栄一ってどんな人?

実はトミー爺、渋沢栄一さんの事は全く知らなかったんです。

2年くらい前だったですか、、、コロナ渦が今ほど大変じゃなかった時期にカミさんと二人でドライブがてら「関東八十八ヵ所巡礼の旅」という関東版のお遍路旅を回っていたんですよ。

確か埼玉県深谷市あたりを走っている時に「渋沢栄一」と言う名が至る所で見るようになり、カミさんが「お父さん、あの渋沢栄一って誰なんだろう?」って質問され「渋沢栄一って○××○△×○○」ちょっとここでは言えない返答してしまった記憶が…

 

そのあとに新一万円札のモデルやNHK大河ドラマの情報を知りカミさんから「お父さん、確か渋沢栄一って○××○△×○○って言っていたよね!」と言われ、穴があったら入りたくなったんですよ、、、笑い。

 

「あの時は失礼しました、、、」と挨拶に行かなくては…

トミーの失言も七十五日、、、人々から忘れ去られた、、ある日?
そうこうしているうちにコロナが大変になり、旅行もできなくなって2年弱、、、関東八十八箇所のお遍路旅は一応全て制覇出来ていたのですが、ランダムに巡っていたので最後が八十八か所目のお寺さんという訳では無かったんです。

でもそのお寺さんが満願証明書を発行してくれるという情報をGET。それを貰いに行こうということになったんです。


だった行くついでに渋沢栄一記念館に行こうという計画が浮上、、

 

ということで某日、早朝3時半に家を出発、早すぎる?

我が家の車旅行って朝4時前に最寄りのインターから入る事にしています。

それだと高速道路の早朝割引が活用できるんです。

今回だと1000円くらい安くなる、ちょっと得した気分になりませんか?

ただ、お寺さんは8:30くらいから受付OKということだけど、そう早すぎる、、途中SAで休憩したり道の駅に寄り道したりして目的地のお寺さんへ、、そして下の写真がその時のパチリッ!です

 

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渋沢栄一記念館で渋沢さんと2ショットいただきました!

お寺さんで証明書貰う時に住職さんが卒業式で賞状を授与される時みたいに丁寧に読み上げてくれるんです、これには感動しましたね、、


お寺の住職さんやスタッフさん、ものすごく親切に接してくれて本当に感謝でした。

足掛け5年くらいかな…完全制覇、感無量。

 

さてさて、いざここから懺悔旅行の始まりはじまり、、渋沢栄一記念館へGO!
そこから1時間くらいだったかな…いよいよお目当ての渋沢栄一記念館に到着です。

 

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なかには渋沢栄一さんのアンドロイドロボット君がいて、凄くリアルでした。

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思わず2ショットもいただきました。

当時の日本人の男性って平均身長が155cmくらいだったらしい、渋沢さんは153cmくらいだったらしく、一緒に並んだらこんな感じでした。

 

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そして生家旧渋沢邸「中の家(なかんち)」

 

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この奥にも渋沢さんが鎮座している


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結構リアルでしょ、、


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こんな感じで回って、結構パワー貰えた気がしました。

 

これから大河ドラマもどんどん面白くなってくるし目が離せないですね。

 

 

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Song Bank誕生の秘話 その2~作詞作曲コラボと勉強会がスタート~

お疲れ様です。

Song Bankの誕生秘話その1読んでくれましたか?

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秘話というほどの事もないのですが当時のドタバタ模様が伝わってくれると良いと思っています。、、、という事で今回はその2です。

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ネットが無い時代のコラボ大変でした

Song Bankは最初に作曲チームが出来て、ついに作詞チームが登場!というところまで紹介させてもらいました。

そして作詞と作曲がそろったら「作詞、作曲コラボだ!」と考えたまでは良かったのですが、何せ今のようにネットがない時代、そうそう、まだまだ発展途上の時代、、、本当に大変でした。

まずはネットは電話回線使っての接続だったからピーガー言いながらネットに接続していた、おまけに接続中は電話は使えない…こんな時代でした。

メールも発展途上、あの当時「へー、、メールやってるんだ凄いね!」という会話が普通に行われていたから、今考えるとどこの時代の話?ってなりますね。

おまけに携帯電話もまだ、、、やっと持ち歩き出来る携帯電話が出始めた…そんな感じの環境でどうやってコラボする?

当時のコラボはこんな感じで行われていた

  1. コラボ企画の連絡を作詞メンバー全員に手紙を送る
  2. 事前に課題曲は登録曲の中から選考し、その旨を作曲家の家電に連絡
  3. 作詞チーム参加希望の連絡が郵送、ファックスで集まる
  4. その時に音源はカセットかMDか?を事前確認する
  5. 参加希望者分のカセット、MDに課題曲をダビングし郵送で送る
  6. 締め切り日に詞が郵送、ファックスで送られてくる
  7. 選考、選考結果を郵送する
  8. 作曲家に選考済作品を郵送して録音してもらう

こんな段取り、、今考えると信じられませんよね、、笑い。

でも楽しかったですよ、、何せ新しい曲が誕生する瞬間に居合わせることが出来るんだから、、これは皆そうだったと思います。

作詞、作曲勉強会がスタートする

そしてもう一つ話しておかなければいけないのが「勉強会」と名付けた作詞作曲のコラボのワークショップ、、、なぜ「勉強会」と名付けたかというとワークショップだと印象が固い感じがして、作詞作曲講座だと違うし、、そこで閃いたのが「勉強会」

勉強会って名前って、小学校の、懐かしい感じがしませんか?なんか机並べてみんなでワイワイガヤガヤしている感じがするでしょ…笑い。

メールや手紙でのアドバイスって一方通行になってしまう…

SongBankのやり取りってあの当時は手紙でのアドバイス、今はメールでのアドバイスでやらせてもらっているんだけど、どうしても一方通行になってしまうんですよ、、

 

そこにはある程度の限界を感じていたんです。

ただ、全国津々浦、会いに行くわけにはいかないですものね…、、

それも含めて新しくスタートさせる事が出来たのが下記の「作詞作曲お悩み相談」なんだけど、これについてはまた別の機会でお話させてくださいね。

sakusi-sakkyoku.songbank.jp

 

話を戻して、

例えば、トミーからこんなアドバイスが届いた…でもそれに対しての質問がリアルタイムで出来ないという事ってトミーも感じていたように、メンバーはもっと感じていたと思います。


ある本を読んだときに「素人が専門家になる為には5000時間~10000時間が必要」と在って、トミー爺もそれは同感で一緒にやり取り始めてから最低でも5年は掛かると思っていたんです。


ただ先ほども言ったように手紙やメールのやり取りでは限界がある。


そこで考えたのが対面形式の勉強会だったんです。

 

最初は渋谷にあるレンタルスペースでスタートした

確か第一回目の勉強会は渋谷にあるレンタルスペースで開催だったかな?

作詞、作曲メンバー7名くらいが集まってくれてそれこそワイワイガヤガヤと作詞作曲談義をかわしましたよ。


でも、会場の費用や色んな事、例えば、曲を聴く方法がない…借りているところが会議室なので「音楽を聴きながら…」というとそれは困る…という事で貸してもらえない事もあった。

そんな理由でなかなか開催できなかったけど、友人が原宿、神宮前に事務所を借りて会社を運営している情報をゲット、相談したら会議室を使ってよいという内諾を得てそれからは毎月コンスタントに開催できるようになったんです。

勉強会からプロ活動するメンバーが続々と、、

先ほど紹介させてもらった「素人が専門家になる為には5000時間~10000時間が必要」という事ですがトミー爺もこれって本当だと思っています。

例えば、プロになる為に5000時間かかるとしますね。

一日2時間、毎日作詞作曲の勉強をして2500日、約7年かかる計算になります。

でもそれが人から刺激をもらうとか…教えてもらうとかなんかヒントをもらえる環境だと短縮できるようになるんです。

 

勉強していて「一つの疑問」が出来るとします。

これを一人で解決するためには相当時間が必要になるはずです、、でも、それを解決できる環境があれば、例えば、「これってどういう事ですか?」「それはね…」と通常は数か月かかる事を短時間でヒントをもらえる環境があると…それを短縮できる事になります。

分かる事イコール出来る事にはならない

ただ、間違ってはいけない事は「解る事がイコール出来る事ではない…」という事。

つまり分ったけどそれを実践出来るようになる為には時間が必要です。

それがプロ野球選手がバットの素振りをする理由だと思います。

分かったことを身体に覚えさせないといけないですよね、、そういう事です。


今、勉強会はコロナ禍の影響でzoomを使ったオンラインの開催になっているんですが、これがまたすごいんです。

何が凄いかって「疑問点をより具体的に説明できる」んですよ。

以前やっていた対面での勉強会では、みんなに見てほしい、聞いてほしい曲や映像があるとしますね、対面環境だとトミー爺の携帯の周りに集まって小さい画面でチェックするしかなかったのが、zoomを使っての環境だと全員で画面や音源を共有できるんです。

 

例えば、「この曲を聴いてみて…」「こんな詞が、歌詞があるんだけど…」みたいな事が簡単にそれぞれのPCや携帯の画面に送ることが出来る、、その映像を見ながら説明できるんです。

その恩恵か?参加者の成長が対面勉強会に比べて倍くらい早くなったんです。

 

このスタイルはコロナが終息しても取り入れてやっていきたいですね!


今日のお薦めの一曲

お馴染みの「QUEEN」が凝縮されて詰まっているアルバム。色んな意味で勉強になる事間違いなし!

そしてあの映画です。

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Song Bank誕生の秘話 その1

お疲れ様です

お元気ですか?

何となく自分の特技「分かりやすい話し方…?」に気がついたトミー青年、ここから現在も続けさせてもらっている「作家育成システムSongBank」の誕生秘話、、秘話といってもそんなに仰々しいものでもないのですが、、良かったらチェックよろしくです。

 

enjoy-ongaku-tabi.tommysomekawa.com

この記事の内容は

アマ、プロ区別なく曲が良ければ採用されるんだ

前回の記事内容で、ディレクターにアマチュアの曲を聴いてもらって高評価だった経験の話をしましたね。

プロアマ問わず良い曲、厳選された曲があれば勝負できる事にヒントを得たトミー青年、だったら若い作曲家を育ててその曲を売り込む事が出来たら良いのにな…と考え始めたんです。

ただ、その当時の音楽業界って作家さんの身元、どこの誰?というのも重要なポイントになっていて「〇〇事務所の✕✕さん」みたいな肩書も必要だったんです。理由としてはその曲をリリースした時に問題が発生したら大変ですよね、、そういう意味で作家事務所と契約している作家しか仕事できなかった時代でした。

という事で「プロアマ問わず…」という事ですが、ロックオンの肩書、ブランド力があって初めてディレクター氏の触手を動かす事が出来たのも事実で、、だったらそのブランド力を活かし、作家さんと契約するのではなく、作品と契約するエージェント見たいなシステムって作れないか?

そう考えて生まれたのが「Song Bank」なんです。

なんでプロフィール出さなきゃいけないんだ!

半年くらいシステム構築で奮闘してついに1998年にメンバー募集の広告をギターマガジンとかキーボードマガジンに広告を打つことに…

当時はネットはまだ普及していなくて、なにせ1995年にWindows95がリリースされ、その新しいバージョンWindows98が出たころ、、まだ電話回線を使ってピーピーガーガーいいながら、そうそうネットを使っている時は電話が使えなかったんですよ、、そんな時代でした。

反響は結構あって当時100人くらいの有志が集まってくれてSong Bank、作曲チームがスタート、、作詞チームはもっと後に生れる事に…

その当時メンバーさんとのやり取りは電話か郵便が主流。まだ携帯電話は普及途中なので今考えると何をやるにも大変な時代でした。

そしてなかなか理解してもらえなかった事が「アマチュアの曲をプレゼンする時にロックオン、染川のところが身元保証?をしなきゃいけないという事」でした。

「何で会員になるのにプロフィールを出さないといけないんだ…」


という方も多く、多分、曲のコンテストならそれでOKだけど、曲を商業ベースに乗せる…というイメージが浸透しなかったのかもね、、

トミーさんこの作家さんってどんな人?

Song Bankは新人作家さんを育成してプロデビューなどの作家活動を支援する目的で、その曲をプレゼンする時は「ロックオン関係の作家さん」という肩書でプレゼンする必要があったんです。


だからディレクターさんから「トミーさんこの作家さんってどんな人?」と質問された時に「何処の誰だか?よくわからないけど曲が良かったので…」とは言えない…

そこで最低でも「出身地、居住地、年齢、どんな経歴か?」くらいは答えられないと相手に対して失礼ですよね、、

なぜならディレクターはレコード会社や歌手、事務所さんから「この作家さんってどんな人?」と質問されたら「ロックオン、トミーさんの所の新人作家さんで〇〇の経歴を持った人」と答える必要があったので最低限のプロフィールが必要だったんです。

トミーってソング、、何とかってやっているよね

そうそう、現在はネットが普及して全国どこに住んでいても作家活動できるようになっているけど、Song Bankを始めた時は「プロ作家は東京に…」という風潮が主流で「この作家さんは大阪に住んでいて…」というとみんなびっくりしていた…笑い。

 

今、全国どこに住んでいても作家活動できる、そんなきっかけをSong Bankが作った可能性もあるかもね…そうだったらうれしいし、トミー青年がやってきた事が音楽業界の一つの歯車になれたって事なので光栄だね…笑い。

それとSong Bankを初めて数年した時にある有名作家事務所の社長からこんな話をされた事が…

社長 「トミーってソング、、なんちゃらってやっているよね」

トミー「ああ、Song Bankの事ね、、やってるよ」

社長 「あれって内の会社でもやろうとしたんだけど、手間がかかりすぎて…」

   「だからやめた…よく続けているね、、」

トミー「だって自分の得意分野だから、、続けられるのかも…」

と答えた記憶があります、、知らなかったけど、注目されていたんですね…

作詞チームが誕生、作詞家とのやり取りでの実践勉強が役に立つ

Song Bankが動き出した時は「作曲チーム」だけでスタートしたんです、理由としては曲の事は長年積み上げた経験からアドバイスできるけど、作詞に関しては…ちょっと自信が無かったのが理由、だってアドバイスする事って相手に対して責任あるからね…

ただ、色んな人から作詞チームを作ってほしい…という要望があったんです。

当時、トミー青年は作詞家のマネージメントも担当していて、当時は佐藤ありすさん代表作では「Choo Choo Train」の作詞担当。もう一人は澤地隆さん、彼はチャゲ&飛鳥の作詞を担当していて、その打ち合わせやお二人との会話の中で作詞に関する事を蓄積出来てきた時に作詞チームを作る構想が出てきて…

 

試しに一度作詞のアドバイスをしてみよう…という事でやってみたらこれが評判良くて、どうせやるなら自分流の目線で作詞を考えてみよう…思いついたんです。

自分流の目線ってどんな事?

実はその当時、作詞家とのやり取りはファックスでした。

締め切りの当日朝までに事務所にファックスを送ってもらう…それをコピーしてディレクターに届ける…というスタイルで、その時に良くも悪くもディレクターから色んな意見ももらえるんです、時には辛辣な意見も…

 

それをストレートに作家に伝えるんではなく、ある程度話をまとめて伝えるんですがそれも電話で、、、

トミー「〇〇さん、歌詞の直し依頼です」

作詞家「何処ですか?」

トミー「Aの〇行目の✕✕ですが、なんか代案はありませんか?という事だけど」

作詞家「OK、そこは私も悩んだところなので〇〇と✕✕ならOKと伝えてください」

トミー「あと、ここを〇〇にできないか?という事ですがどう?」

作詞家「うーん、そこを変えると全部変更しなければいけないので…

   「ちょっと考えさせて、、」

みたいなやり取りをして、その答えをディレクターに伝える。

この時に電話口で作詞家が答える時、作品作りに使ったアンチョコ?を見ながら答えているのが分かり、多分そこに代替え案がいくつも書かれていたのかも…

こんなやり取りの中で自分自身、経験を積ませてもらった…そんな中からトミー流の解釈が出来てきてそれをもとにアドバイスしていくことで、、これが結構分かりやすいとの評価で、Song Bankから何人もの作詞家を世に送り出す事になったんです。

 

こんな感じに産声を上げたSong Bank…次回は大変だったコラボと勉強会の誕生秘話などを…こうご期待!

今日のお薦めの一曲

ロミオの青い空」この曲はTVの名作アニメシリーズの主題歌になった曲で作詞を佐藤ありすさんが担当、打ち合わせに行くときや帰りの車でありすさんとの話、結構鮮烈に覚えています

www.youtube.com

今日のお薦めのアルバム

 

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ヘッドフォンのエイジングって本当に効果があるの?、、の巻

ヘッドフォンのエイジングって知っていました?実は車で言うと「慣らし運転」というやつですけど、ヘッドフォンをエイジングすると音が変わる…

ホントかな?今日はそんな話を…

 

この記事の内容は

ヘッドフォンのエイジングって本当に効果があるの?

諸説入り乱れている状況みたいだけどトミー爺は信じています。

そして必要だと思っています。


大抵のヘッドフォンって購入した時の音って硬い…

音に霧がかかっている感じがして、それをエイジングする事で音の粒立ちがはっきりしてくるんですよ、、音響機器、機械だから変わらない…逆に使うほどに劣化していくと思っている人が多いかも…新品の時が一番良い状態だと…でも、、多分違っていると思います。

例えば、このヘッドフォン「TAGO STUDIO T3-01」

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エイジングって具体的にいうとヘッドホン、イヤホンの音が鳴る部分や、スピーカーなどのコーン紙を音を鳴らし振動させる事で、その可動部分を「ほぐして動きやすくする」という感じ、、


例えば、「エージング」を行う事で、買った時にくらべて「硬かった音がより硬さが取れて良い音になった」「より繊細な音が出るようになった」みたいなイメージで考えるとわかりやすいのでは…

BOSE QC3通勤で使用中に音が変わった実感が

以前の経験で話すと、BOSEのQC3を毎日通勤で使っていたときに、ある日突然、音に艶が出てきたリ、音の粒立ちが良くなってきたリ、音が近くなったり感じる経験をしたんですよ、、、。

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毎日、往復2時間くらいの通勤時間で2週間くらい使った後、、、

突然、「アレッ 音が変わった…」という瞬間が…

 

今使っているのは「QuietControl 30」というワイヤレスのイヤホンですが、これも使っているうちに音の粒たちが良くなった、より近く音を感じる事が出来るようになった

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やっぱ変わるんですよ

200時間くらいエイジングをすると音が澄み切ってきます

それと今、仕事では下の「TAGO STUDIO T3-01」(先ほどの写真のやつ)を使っているけど、購入した時に「200時間くらいエイジングをすると音が澄み切ってきます」とトリセツに書かれていて、さすがに200時間は無理だったけどその半分100時間くらいはやりました。

 

どうやったかというとiphoneのアプリで「エイジング」というのがあって、それを使ってホワイトノイズを寝る時数時間に流しっぱなしで1週間くらいやったかな…


ガー、、、ザー、、って感じに

FMラジオの局合わせをしている時に、たまにザーって音がするでしょ、、あの感じ、

 

このアプリはエイジング時間をあらかじめ設定できる仕組みになっているので便利、ただ夜から朝までホワイトノイズでエイジングしていると、さすがにiphone側のバッテリーは一桁になっているので充電しながらがお勧めですよ。

 

その結果、低音のモヤモヤしている音がくっきりと…

その結果、低音の音がボヤーンとしていた音がくっきりして来た、その影響で全部の音域がクリアに聞こえて来るようになった気がする。


やはりトミー爺としてはエイジングした方が良い音になると思うのですが、、中には「気のせい…」という人もいるので、、


まあ、信じる者が勝つ!

 

皆さんも一度やってみては…

 

そして次に狙っている奴は下のヘッドフォン

トミー爺のお薦めの自然音

ヘッドフォンで癒されたいときはこのアルバムが最高!ダミーヘッドマイクで録音した3D自然音と絶妙な音楽がコラボした音楽たちこのサイトのCDは良い!トミー爺も仕事帰りにいつも聞いています。

orangetreeproductions.com

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トミーさんのアドバイスってすごく分かりやすい

お疲れ様です。

さて、幸運にも尾崎豊さんのツアーの最初から関わりを持たせてもらった話、読んでくれました?やはりすごかったですよ、、本当に彼は…

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ステージであんなにハイテンションに見えるけど、実はものすごく計算してパフォーマンスしている様に見えた、、ある意味本当の天才かもしれませんね。


この記事の内容は

負け続け、自分に自信が持てない…どうやったら?

どうやら自分って外見や雰囲気は相当どっしりと構えていて、どんな事にも動じないように見えていたみたい…実はそうではないのに…

多分、バリバリとレコーディングプロジェクトを仕切っているし、有名なプロデューサーを担当している、外から見たらB1マネージャーのように映っていたからかもしれないね…でも本当は毎日テンパッテ、、バクバクいっていたのが実情、、笑い。

 

何せ幼少のころから人前で話す事や人前に出る事が超苦手の「引っ込み思案系」で、家で絵ばかり描いていた少年だった。

ただ音楽は何となく好きでアパートの共有廊下でハーモニカを吹いていたな…今考えると近所迷惑なガキだったかも、、良く苦情が来なかったな…笑い。


ロックオンで働いていてもそのビビり癖は変わっていなくて、飲み会で自己紹介するでしょ、、あれが本当に苦手で自分の番が来るまで心の中で一生懸命リハーサルをしている…あと会議なんか大嫌いだった、、だって何か発言求められてもしどろもどろなんだから…

ある電話が変わるきっかけを作ってくれた

そんな事を言いながらもバリバリ仕事をこなしていたトミー青年だったけど、仕事以外の電話も多かったんです。


「トミーさん、〇〇くんの連絡先って知りませんか?」みたいな…わざわざ会社に電話来るんですよ、、結構多かった…あの当時「何か困ったらロックオンに電話してみる…」みたいな風潮があり、どうやら、ロックオンの人は何でも知っている様に見えていたのかも?

 

その流れである日、一本の電話が、、、かけてきたのは都内にある専門学校のスタッフ。

「トミーさん〇月〇日って空いている?」また飲み会のお誘いかと思ったので…

「空いてますよ」と答えてしまった。

そうしたら飛んでもない事に、、、「よかったその日、うちの学校の卒業式の来賓の挨拶お願いしますね、、よろしく」

 

おい!先に行ってよ…って感じですよね。

 

人前で話す事が大の苦手な男に来賓あいさつなんてできるわけないでしょ、、でも空いているって言ってしまったら断れない…

 

その経験からこちらから相手に何か頼む時、必ず要件からいうようにしていますよ、相手が断りやすいように…

例えば、前の件を例にすると「トミーさん、卒業式の来賓あいさつ頼めないですか?」

そういわれたら内心「出来るわけないでしょ…やだな…」と思っているけど、むげには断れない…そこに…「〇月〇日なんだけど…」こうやって日にちを後に言うと

「あー、ごめん、その日仕事が入っていて、、ゴメンね、また声かけて…」と心にもない事を言いながらも断れるでしょ…

相手に逃げ場を用意してあげる…これってトミー家の子育てや交渉事に大いに役に立ちましたよ、、このことはいつか書かせてもらいますね。

 

準備は万全だったけど案の定「しどろもどろのスピーチ」

本番の日、ステージに上がっている時は別に何ともなかったんですが、いざ式台の前にスタンバイしたとたん何百個の目線を感じて、そのとたん、しどろもどろ病が発症、、結果は何とかまとめたけど、、ダメだな…燦燦たる結果で落ち込んだものです、、

でも不思議ですよ、、その経験がなんか吹っ切らせてくれたのかな?
今でもあの時のシーンがよみがえってきます、、

その後、ある専門学校のクリエータークラス生徒の前で公演したり、イベントの審査員をやらしてもらったり、、徐々に人前で話す事にも慣れてきた時期に色んな人から「トミーさん曲を聴いてください」と要望が多くなってきたんです。

 

トミーさんの話、アドバイスってすごく分かりやすい

そのころの作家業界って相変わらず作詞の発注は決め打ちの発注が主流、作曲はコンペが主流になりかけの時代でした、、ただコンペと言っても今のような大規模ではなく作曲家3~5人くらいに曲を発注してその中から選ぶ…そんな感じのコンペ。

 

ディレクター氏はシングルは大御所に、アルバム曲は新しい作曲家を使いたい…みたいに考えている人が多く、そこにトミー爺たちが食い込んで行ったのですが、次第に「トミーさん、なんかストックあったら聞かせて…」見たいなお願いも受けるようになり、契約しているメンバーのストックを聞かせて、気に入った曲があれば「この曲預かっていい?」と言われてキープしてもらっていたんです。

 

そんな時期、トミーの所に集まってくる作家の卵たちの曲、もちろんトミーが良いと思っている曲を聴かせることもあり、それを気に入ってくれることもあったんですよ。

 

この経験が後にある事を始める源流になったのですが、それは近いうちに紹介する事にして、話を戻すと

 

自分では当たり前と思う事も相手には目からウロコってことも

それまで人前で話す事や何かを教える事って、まったくダメだと思っていた事が、意外と評判が良い…と言う事に気がつき少しづつ自信がついてきたトミー爺、

 

「なんだこんな事で喜んでもらえるんだ…」という自画自賛から

 

「実はこれって俺の特技?他の人にない技術なのかも?」

って思うようになってきたんです、、それも音楽的な知識というよりも作家マネージメントで培った経験からのアドバイスが人の心に届いているんだ、、、多分自分では当たり前の事を言っているので周りから指摘されないと一生気がつかなかった事かも…

 

それも絵が上手にかけるとか、歌が上手いとかでなく「アドバイスが分かりやすい」って、目に見えない事ですよね。

 

なんか少しづつ自分の価値に気がつき始めたトミー青年、そこである事を考え付いたんですよ、、今のトミー爺の礎になるような事をね、、

 

この続きは後日…

 

今日のお薦めのアルバム

このアルバムはトミー爺が初めてLAセッションを経験したアルバム。とっても良い出来なので良かったら聞いてみて…ただし廃盤になっているので中古CDしかないのが残念

お薦めの一曲

クラブトランプスに収録されている「アルゴ」景色が見えるような至極バラードです。

マリブビーチにある海辺のスタジオでみんなでビール飲みながらこの曲のプレイバックを聴いたんだよな

www.youtube.com

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

ロックオン奮闘記2-尾崎豊Birthツアーで再発見出来たもの-

トミー青年の突っ張り奮闘記?読んでくれました。

まだ読んでいない人はぜひチェックしてみて…

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さて今回はものすごいツアーを経験させてもらったことを自分の記録としても書かせてもらおうと思います。

彼の訃報を聞いて四半世紀が過ぎた現在でもトミー爺の記憶には鮮明に映像が流れてくる、、そろそろ自分の気持ちと体験を書き残しておきたくなったので紹介させてもらいますね。

 

この記事の内容は

 

それは西本くんの「トミー相談があるんだけど…」から始まった

トミー青年が西本くんが仕事をしている都内のスタジオに行った時、西本くんから

「トミー相談があるんだけど…」と、、この一言からあの伝説のツアーが始まったのかもしれない…


その内容は

「実は尾崎くんから電話が来て、全国ツアーをするんだけど手伝ってほしい…と言われた、、、どうしたら良いと思う?」

 

尾崎くんというのは尾崎豊さんの事で、その彼が全国ツアーを計画していて、そのバンドマスター(バンマス)として西本くんに手伝ってほしい…ということらしい…


ただ、西本くんはプロデューサーとして活動する為に、佐野さん(佐野元春さん)のバンドを休んでいる時に尾崎さんからのオファー、、ここは難しい選択だよね…

 

トミー 「そうか、、アキラは(西本くんの事)どうしたいの?」

西本くん「いい時期だし、やっても良いかな…と思っている」

トミー 「俺もそう思う、、だったらそうしようよ…」

 

確かこんな会話をした記憶が…

 

当時、尾崎さんは2枚組のアルバム「Birth」をリリースして、そのアルバムを引っ提げて全国ツアーを計画していた。

 

「Birth」ツアーの準備が始まる…まずは尾崎さんと名刺交換?

尾崎さんのマネージメントにトミーから連絡をして、早速、会社のスタッフさんと打ち合わせが始る、、、そしてあの伝説のツアー「Birthツアー」が動き出した。

 

まずは顔合わせという事で都内にある尾崎さんの事務所に西本くん、トミー、ソニーのプロデューサー須藤さん、尾崎さんの会社の副社長、そして尾崎さん本人が集合。

 

早速、尾崎さんと名刺交換することに

「初めまして西本くんのマネージメントの染川です」

「尾崎です、、トミーさんっていうんですね、笑い」


あの尾崎さんと普通に名刺交換するって笑えるでしょう…この時に交換した名刺はいまも大事に保管してあるけどね…

 

バンドメンバーを決めないと…結構すごいメンバーが集まった

尾崎さんは今回のツアー、こんな感じにしたい…と構想を熱く語ってくれた、、そしてみんなでバンドメンバー選択の話に…

 

尾崎さんからトミーと西本くんに「Birth」のCDが手渡され、そのCDを聴いてから具体的にバンド編成の確認とメンバー選びがスタートする事に、、、

 

尾崎さんの事務所を出て、西本くんと別れた帰り道、もらったCDを車の中で聴いてみた。

「えーカッコよい…!」


飽きれるでしょ、、実はトミー、尾崎さんの名前は知っているけど音楽は聴いたことが無かったんです、、それが初めて聞いた音がカッコよくて、、あとで西本くんに電話して「アキラ、尾崎くんっていいね、かっこいい!」って寝ぼけた事を言っていた、、我ながら何なんだお前は!って感じ、、笑い。

もっと間抜けなことを言うと、ある日FMから尾崎さんの「卒業」が流れてきて、このアレンジ誰だろう、、まさかアキラじゃないよな…すみません西本くんのアレンジでした。後でアキラに言ったら殴られそうになった、、笑い。

ちなみに西本くんは尾崎さんのCD3枚の殆どのアレンジをやっている人だった、、もちろん「I Love You」のアレンジもピアノも西本くん、、すごいよね!フー知らないって恐ろしい、、今だから言えることだけどね、、、笑い。

 

そして集まったBirthツアーバンドの面々が下記

THE BIRTH TOUR BAND

尾崎豊 - ボーカル、ギター、ピアノ
・西本明 - キーボード、バンマス
・長田進 - ギター
・鈴川真樹 - ギター
・渡辺茂 - ベース
・滝本季延 - ドラムス
・里村美和 - パーカッション
・関誠一郎 - サクソフォーン、キーボード
・岩本章江 - コーラス
・山根栄子 - コーラス

 

リハ初日はあの曲からスタート、トミー衝撃を受けるの巻き

そして3月くらいだったかな…都内某スタジオに全員集合、リハーサルがスタートした。

 

本当に尾崎さんの曲は殆ど聞いたことが無いトミー青年、彼のファンの人に言ったら羨ましがられるかも知れないけどリハーサルで生演奏を聴きながら尾崎ワールドに引きづりこまれた感じ、、、笑い。

 

今でも覚えています、、あのリハ初日の事。

舞台監督が「尾崎さんどの曲から行きますか?」という問いに尾崎さんは

「セブンティーンマップにしましょう」と言った、、

トミーは「セブンティーンマップ???」なんせ聞いたことが無いんだからしょうがない…

 

そして始まったとたん、唖然とした、、そこには本番と同じパフォーマンスする尾崎さんがいて、めっちゃカッコよかった!

 

この調子で「卒業」「シェリー」「I Love You」「太陽の破片」などあの名曲たちをリハーサルで聞いて好きになっていった、、

 

ツアー初日横浜アリーナ、一曲目「Fire」を聴いたとたんにぶっ飛んだ

そして初日の横浜アリーナ公演がスタート。

会場が暗転になり、SEがなり始める、、会場からはなんとも言えないお客さんのうめき声のようなものが聞こえてくる、、そしてFireのイントロシーケンスが始まり、尾崎さんが登場「Fire」タイトルコールで演奏が始まった。本当に鳥肌もの、全身の血が湧き上がる感じの衝撃を受けた。

www.youtube.com

これは最終公演の代々木体育館の映像(kotikamedesuさんのYoutube映像をから)

日本のバンドでここまでエンターテインメントしているバンドって過去にも未来にも唯一のバンドだと勝手に思っている、、本当にすごい!

6万個の目線を一身に受けて跳ね返せるこのパワーって

実はこのライブってハプニング続きですごかったんですよ、それも尾崎さん本人が巻き起こすハプニングだから面白い。

 

我々スタッフは全体の流れを把握しているので、この曲の後はこれで…ああなって、、と分かっていながらライブを見ているのだけど、突然

「あッ!マイク投げた、、昇った、、」

「フリーズムーン」だったかな???尾崎さん一番を歌い終わったらマイクを舞台袖に向かって投げたんです。

 

それを見ていたローディが辛うじてキャッチ、そしたら尾崎さんがタワーを昇り始め、そのマイクを持って舞台監督が二人、尾崎さんを追いかけて昇っていく、多分それを見ていた尾崎さんは当然マイクをもって来ていると信じているから、ちょっと昇るスピードを緩め、そして頂上に着いたらマイクを持った舞台監督が本人にマイクを渡す。

その間バンドは様子を見ながら間奏部分を繰り返し演奏続けていて、それを見た尾崎さんはタワーの上で演奏をストップするように合図、そうしたらバンドは演奏をストップ。

 

そして語り始める、、それに合わせて西本くんが即興でピアノで答える。

バンドメンバーはタワー上の尾崎さんの一挙一動を真剣に見つけているのが分かる…

 

そして手で来い!って合図するとまた演奏をスタートする。こんなやばいコンサートは生まれて初めて体感させてもらった。

 

それと「Birth」という曲だったかな、地方公演でいきなり尾崎さんがギター弾き語りで演奏始めた、、

実はこの曲は最初ドラムのカウントでバンド演奏で始まる曲、でも本人が歌いだしたのでバンドメンバーはそれに合わせるしかない…めいめいが途中から合流始める、、これもすごいでしょ、、

もっとすごいのは尾崎さんはきっとこのバンドだったら着いてきてくれる…と見越していたんだと思う、一番を歌い終わって、ちょっとだけ間を作り、そして「1234」のカウントを突然叫ぶ、そしたらバンドがイントロから演奏始めた、、

これって打ち合わせなしでいきなり、、鳥肌物ですよね、、この曲は後にカラオケにギターイントロバージョンとして入っていると聞いたとき大笑いしたことを覚えている。

 

あと太陽の破片という曲の最後でボーカルだけになる所があり、そして囁くように歌うところがあって、そこは尾崎さん一人に6万個の目が尾崎さん一人の息使いに注がれる、そんな重圧を一人で背負え押し返すパワーってすごいですよね。

 

本当に底知れぬエネルギーをもらえたツアーだった。

そしてトミー青年のその後の音楽人生にも大きな影響を与えてくれたツアーだった。

 

それから尾崎さんとは最後のアルバム制作でも西本くんが半分担当になったのでお付き合いさせてもらった…

 

物凄いパフォーマーですよ尾崎さんは。

 

 

 

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社長の片腕、トミーのロックオン奮闘記、その1

トミーのジェットコースター人生、ロックオンに入社したはいいけど全くの素人がどうやって信頼を勝ち取っていったか?

 

そんな話をしてみたいと思います。

 

この記事の内容は

突っ張ることがトミーの、、♪たった一つの勲章♪

とにかく経験が少ない素人がいきなりトップクラスの人と仕事をするには、どうしたら良いのか?

 

「見栄張って突っ張るしかないっしょ、、」笑い

まずは身内からの信頼を勝ち取らないとまずかったので、最初にしたことはスタジオの電話番号を全部覚えました…

当時は携帯電話なんて世の中に存在していなかった時代で、電話は会社の電話か?又は公衆電話でかけるしかなかったし、とにかくスタジオに電話することが多かった。

自分で早引きできる電話帳を作っておいて、OTさん(社長)が「音響1stって、、」言ったとたんに「〇〇ー〇〇〇〇…」みたいに教える、当時毎日車移動だったのでスタジオへの道順、都内の道路は頭の中に叩き込んだ。それを続けていくことで段々「トミーやるな…」と思われるようになっていった、、はずmm、、多分、、笑い。

こうやって地味だけど必死に自己アピールを続けて行くことに、、

 

小心者だけどスタジオでは主のような雰囲気をかもし出す

トミーは実は極度の小心者、ビビり。

そんな奴がトップミュージシャンがいるスタジオで仕事をする為には突っ張るしかないでしょう…

ただ、肝っ玉とは反対にトミーの雰囲気はどうやら貫禄があるように見えるらしい…だから実際はビビりながらもどっしりと構えていられた…笑い。

それも強みの一つかな?

 

よくあるでしょ、、借りてきた猫って感じの時、、それを持ち前の派手な顔と少し貫禄ついてきた体系でカバーしたって感じでしょうか?

負け続けていた20代の知識が今になって役立つ時が来た…

本当に神様は未来の為に色々と経験を積ませてくれていたんだな…以前も書いた通り、本当に20代は何をやっても上手くいかず、中途半端だったトミー爺だけど、ここで逆反り大逆転、、ついに来ました!!

それはヤマハ時代に覚えたスタジオの知識、舞台の知識がここで役に立ったんです。

当時スタジオってリズムがRECできる大きさ、ダビング用のスタジオ、フルオケが録れるスタジオ、、と色んな大きさがあったり、もっとめんどくさいのがマルチテープレコーダー(略してテレコ)。

当時ソニーの3324と言われるデジタルの24トラックあるテレコが主流だったけど、もう一つ三菱の32chのテレコも使われていた。

だからレコーディングするときはソニーか三菱のテレコを選ぶ必要があり、ソニーでリズムRECしたプロジェクトは三菱のテレコでは仕事ができない…そこを把握して調整する必要があった。

あとレコーディングの流れもヤマハ時代に経験しているので全く物おじせずに中心になって動く事が出来た、役に立つもんですね、、

またある時、確か氷室さんのツアーの時だったかな?当時西平くんがツアーに参加するという事で、ここでも若いころの舞台の知識が役に立つ…ある日、氷室さんのマネージャーさんと舞台監督、PAさんが来て「トミーさん、今度のライブの舞台図ですが、この位置に西平さんの楽器って乗り切りますか?」と図面を見せてくれた、普通だったら訳わからないのが当たり前だけど、新人マネージャーのトミーは図面をみて、、

 

「あー尺上がりなんだ、サイズは6、9ね、、、大丈夫ですよ、ただ動いても大丈夫なように天板と足場の補強よろしく」、、当時西平くんはキーボードを弾きながら派手に動いていたので…

またPAさんとの打ち合わせでも

「トミーさん西平さん回りで何回線必要ですか?」

「キーボードミックス使っているのでラインアウト、LRからツーミックスで送りますからそこからとってください」

 

みたいに答えられた、、周りは「何こいつ、、なんでこんなに詳しいの?」と思ったと思う、本当に無駄な経験って無いんだな…とこの時につくづく思いましたよ。

 

同時に5~6個の案件が同時進行、脳みそのコイルが焼き切れそう

先ほど書いた通り西平くん、西本くん、Tsukasaくん、プラス作曲の水島くんや作詞の佐藤ありすさん(chu chu trainの作詞担当の作詞家)さんが加わって大変だった。

西平くんや西本くん、二人とも同時に2~3プロジェクト同時進行しているし、作曲家二人、作詞家一人でしょ、、それがフル稼働しているんだから脳みそがシュート、、でなく「ショートしそう」になる日々だった、笑い。

 

それに当時はリゾートスタジオ、河口湖や山中湖にあるスタジオで長期で泊りがけでレコーディングが流行っていて、、泊まり込みで集中してレコーディングできるからプロジェクトの追い上げ時期に結構利用していた、、だからトミー爺もそんなところにも顔出さないといけない。

 

今だったらオンラインで、、携帯で、、みたいに処理できるのに、あの当時は人が動かないとダメな時代でした。

リゾートスタジオに行く時は、昼から都内のスタジオに行ったりして調整事を片付けて、夕方にリゾートスタジオに向かう…そうすると夕食時にスタジオに入る事ができ、そこで打ち合わせや調整事をして夜にまた都内に戻ってくる…そんな生活が当たり前に繰り返されて行った。

自分の言葉で表現する事で居場所を確保できる事に気がつく

それとスタジオでミュージシャンたちの演奏を聴いている時も頭の中はフル回転。

というのも演奏終了したミュージシャンたちはプレイバックで演奏の確認の為にスタジオに戻ってくる…その時に思いっきり試されるんです。

「トミー、今の演奏どうだった?」ってね…


だから演奏を聴きながら自分の言葉で答えられるように常に触覚を研ぎ澄ませないと、「なんだこいつはダメじゃん、こいつに聞いても無駄だな、、」なんてレッテル貼られてしまうのでここも突っ張った。

「なんか身体が熱くなる演奏だったね、、俺は好きだけど…」


みたいに自分の言葉で返すと、そこはトミーの考え方なので間違いはない、その後の人生いつも自分の言葉、表現をできるように訓練できたのもこの経験があってだと思う。


なにせ相手は超一流の音楽家だから素人トミーが勝てるわけない…だけど真向勝負を挑むのではなく自分の言葉で自分の感想を言ったらそれは間違いではない…そしてミュージシャンからは「こいつ面白い事いうな…」と思われて、それ以降も意見を求められることも増えた気がする。

 

やっぱ自分だけの言葉って力があるんですね

崖っぷちに立った時と相手の立場に立ってみると見えるものがある

そしてもう一つ経験できたのは「崖っぷちに立たされた時の考え方」

色々メンバーやプロジェクトの調整をしていると、どうしても思い通りには行かない時も頻繁にめぐってくる…

「明日レコーディングするスタジオがまだ抑えられていない…」

「クライアントとミュージシャンの間に入って揉め事のど真ん中に…」

「仕事上の人間的なトラブルに巻き込まれる」

 

こんな感じの色んな事が同時進行で襲ってくる、そこをどうやって乗り切るのか、周りみんなの利益を守ってあげると案外うまく行くもんです。

 

例えば、簡単な例を言うと、メンバーのスケジュールがガチガチに入っている時に新規や常連さんから問い合わせが来たりする。

「トミーさん、〇〇さんで5曲アレンジお願いできませんか?」

スケジュールをチェックしても5曲なんて全く無理な状況、何せ全国ツアーなんかを抱えていると一年先までスケジュールが入っている状況、、、

 

こんな時、普通は「スケジュール入っていて難しい…」と断る事が定石。

でも無下には断らなかった。

 

「スケジュールがガチガチなんです、、でも調整してみるので時間もらえますか?」

その後メンバー、関係者にはかなり無理なお願いするけど、前後のスケジュールを少しづつずらしてみる、、もちろん各方面に事情を説明、でも各方面にはデメリットが無いように調整するのはもちろんの事だけど、、当然、今まで組んでいたスタジオやミュージシャン等のスケジュールを動かす事になるので、そこはトミーの方で全部出来るように調整してからお願いすることも忘れなかった。これは当たり前ですよね…

 

そして、問い合わせくれた人に連絡する。

 

「調整してみました、5曲は無理でも1曲だったら可能かもしれません」

こう言うと相手の立場も立つ。

というのも恐らく相手の会社ではこんな状況になっていると予想できるから

 

上司「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当「スケジュールいっぱいで無理みたいです」

上司「なんだ、アレンジャーのスケジュールも取れないのか?交渉したのか?」

担当「、、、」

 

でも実際は

 

上司「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当「スケジュールいっぱいで無理だったのですが、無理やりお願いして一曲だけ

   OK、スケジュールもらいました」

上司「おーそうか、、取れたか、、じゃシングルの表題お願いするか、、」

  「やるじゃないか!お疲れ!!」

担当「ハイ!」

 

ここで相手の状況をちょっとだけ考えてあげるとその先の仕事につながっていく。たぶんこの考え方には色んな意見があると思うけど会社組織の人間というよりフリーランス人間の考え方かもネ、笑い。

 

まだまだ続きます、、次はアーティストさんから沢山パワーをもらった話などを…

こうご期待…

 

今日のお薦めの一曲

今回見出しでも使わせもらった「男の勲章」行ってみますか!やっぱりこのメンバーに登場してもらわないとね!

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