旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

人生は旅!音楽も旅!音楽一筋40年トミー爺の旅日記。"音楽" "グルメ" "ラーメン" "旅行" "ダイエット"などを独断と偏見の哀愁目線でお伝えするブログです。

ハワイ旅行2018 事前準備 「イモトのWifi」あぁー!早割りィー!

毎日暑い日が続きますねェ~のトミー爺です。

 

さてさて、還暦夫婦のハワイ旅行ドタバタ日記事前準備編、、まだまだ続きますよ!

 

さて、前回のESTA申請のエピソード、読んでもらえましたか?

 

enjoy-ongaku-tabi.tommysomekawa.com

 

 

ハワイ旅行「ESTAの申請」と「パスポートチェック」。

これは海外旅行、特にアメリカ合衆国に行くのであれば「ESTA」はとっても大事ですから「各々方 抜かりなく…」ですよ。

 

今回は「ポケットWifi」の申し込みの失敗談を。

 

あらぁ、、そこの奥様、聞いてくださいよ。

ダメ親爺、トミー爺ったら、「ポケットWifi」目先の値段に目がくらみ?失敗したんですって、、本当にダメ親爺なんだから、、、笑い。

  

さて老いては子に従え…の例えのように、娘夫婦からのハワイ旅行指南書に沿って事前準備を進める事に…

 

下の写真で上から2項目は無事に完了。

続いて「ポケットWifi」の申し込みにチャレンジすることに

 

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ポケットWifiの申し込み 

もし皆さんでスマホも使わないし、もちろんネット環境など必要がない…と思われているのだったら「ポケットWifi」は必要ないと思います。

 

デモ、ですよ、、今の世の中、ネット時代。

なんかこう書くと20年くらい前にタイムスリップしてしまう感じがしますね、、笑い。

 

トミー爺たちのような還暦夫婦でもスマホ無くしての生活は考えられない…状況なので、当然、海外に行っても日本と同レベルのネット環境が欲しくなりますよね。

 

そこで役にたつのが「ポケットWifi」です。

 

色々調べたら沢山の会社さんが海外向けの「ポケットWifi」を提供してくれています。

 

トミー爺たちは2年前に行ったハワイ旅行で大活躍してくれた「イモトのWifi」に決めていた。

 

ではなぜ「イモトのWifi」に決めたのか?

  • 調べたけど、どれを選んでよいのか?
  • 前回使ってストレスが無く使えたという事
  • CMで宣伝してので

 

単純な理由でしたね、、笑い

 

そして、2年前にハワイ行った時は娘夫婦が事前に申し込みしてくれたけど、今回は自分たちでの申し込みになる、、やってしまいました、最初の失敗談。

 

ハワイの為のその1 思いたったらすぐに申し込むべし  

まだ申し込みは大丈夫だろう…とか、「イモトのWifi」は有名だから申し込めないって事はないだろう、、など、全く意味不明な発想力のトミー爺、、その油断が大敗因。

 

「イモトのWifi」って早めに申し込みをすると「早割」サービスがあって、しかしトミー爺が申し込みしたのは2週間くらい前、、、2か月前に申し込むと20%引きになるらしい…

 

 …500円引きのクーポンしか使えなかった、、トホホ

 

【早割の例】

  • 30日前の予約 10%引き
  • 45日前の予約 15%引き
  • 60日前の予約 20%引き

 今回のハワイ旅行は2018年4月出発、そして同年1月には予定が決まっていた。

 

惜しい事しましたね、、、

 

ハワイの為にその2 TPOに合ったプランを選ぼう 

 

それと今回チョイスしたWifiプランは「4G/LTE 500MB/1日」というプラン。

 

ハワイで使っていて午前、午後、外で利用している時は問題ないけど、ホテルに帰って来て子供たちとライン電話をしたり、動画を見たりしていると遅くなるような感じがしたんです。

 

調べてみました。

 

動画(良い画質)をみると「1分で60MB」くらい容量がかかるみたいですね、、、、

 

そう、、、思い起こせば動画サイトを見ていました。

 

なるほど、、それで速度制限がかかっていたのかもしれませんね。

 

トミー爺の場合、「4G/LTE 500MB/1日」だったけど「4G/LTE 1GB/1日」の方が良かったという事かもしれない…

 

教訓

  1. 早く申し込むのがベスト
  2. 早割を使って上のプランを選んだ方が良い
  3. ハワイ旅行が決まったらすぐにポケットwifiを申し込もう

 

それと最後に「イモトのWifi」は成田空港や羽田空港で受け取って、返却も出来るので便利でしたよ。

 

これからハワイ旅行を考えている皆さん、、早め早めの行動でどんどん得してくださいね。、。、

 

 

ハワイ旅行2018 事前準備 ESTAの有効って2年、、ドタバタ準備

こんにちはハワイ旅行、超ド初心者のトミー爺です。


アメリカ合衆国に入国する時にパスポートと同じくらいに重要な申請にESTAエスタ)があります。

今回はESTAの申請の時に起こった有効期限の事や申請結果、保留などなどハラハラドキドキした事件を書かせてもらいますね。

 娘夫婦の心遣いに「グッときたぜよ」

さて、ハワイ旅行の為に早めに事前手続きしなければならない事が山ほどあるのは解っているトミー爺。

 

しかし、海外旅行、超初心者、不慣れな老夫婦には結構大変というか、、本音を書くと色んな事が不安で、、、、

 

・申し込みの時に英語で書かれていたら…とか、

・本当に申し込み出来るのか?

 

など、、不安ばかりが先に立ち、もろもろの手続きがどんどん後回しになっていく現状、、、そろそろやばい時期…どうしよう、、と思っているそんな時に今回のハワイ旅行にあたって娘夫婦より旅行の準備手引き書が届く。

 

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娘夫婦は旅慣れているので俺たち老夫婦の事が心配だったようで、その気持ちにグッと来たぜよ!

 

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そこにはいくつか事前チェック、手配しなければいけない事が…

 ■まずはパスポートの確認、これは大事。 

チェックしてみると二人とも10年で申請してあるのでOK。

 ■次にESTAの取得。 

まずはESTAエスタ)って何?
初めて聞く人も多いのでは?

 

電子渡航認証システム、英語で書いた時の頭文字をとって

Electronic System for Travel Authorization

 

エスタとは、ハワイなどのアメリカ合衆国渡航する時、テロ防止のために短期滞在のビザ(査証)を免除されている参加国があって(ビザ免除プログラム参加国)その国の渡航者が、ビザなしでアメリカ合衆国渡航する条件を満たしているかどうかを審査するもの。

 

 
これは米国に入国する時に絶対必要な事前審査でESTAのHPより申請することができます。有料、、確か($14)1500円くらいの料金だったかな?


下記のURLより申請が出来ます。

https://esta.cbp.dhs.gov/esta/esta.html?language=ja

 

 ESTAって有効期限があるんだ? 

さて我が家は2年前の3月くらいに一度申請していたけど、念のためにESTAのHPで確認してみると有効期限が2年間という事でした。

 

丁度、今回のハワイ旅行には失効していることが判明、再度申請をする事に。

 


実はトミー爺がESTAを最初に知ったのが2年ほど前。

娘がハワイで挙式を上げるという事で、その旅行業者さんから「事前にESTAの申請をしてください」と説明されて、初めてESTAの存在を知った感じです。


その時は申請のマニュアルみたいのがあって、それに沿って手続きをした覚えがあります。


ちなみにESTAの有効期限は

 

ESTAは、申請・登録をして一度認証されると、"承認を得た日から2年間"または、"パスポートの有効期限"のどちらか短い方が有効期限となります。

 

 

ESTAの申請スタート 

さて実際に手続きを始めると、なんだ俺でも出来る、、、トミー爺でも日本語で書かれている申請手順にそって進めれるので以外とスイスイ進めれる。

 

 

ただ以前に比べて項目が増えた感じがするな?


 あなたはテロリストですか?とかね…笑い


結構、入力する項目が多いので時間をしっかりと作って申請作業をする方がベスト。

 

あと、入力間違いがあると修正できない時もあるらしい…、その場合は数日たってから再申請することになるので、とにかく米国に行くことが決まったら余裕を持って申請した方がベストですよ。

 

そうそう、手続きにはパスポートNOが必要になるのでその時にパスポートの有効期限を確認するきっかけになるかも…


トミー爺とカミさん、二人とも全項目を入力後、申請すると、トミー爺はすんなりとOK。


しかしカミさんは保留、後日決済という事になった。

 

前回、カミさんはすんなり通り、私は保留、後日決済という結果でドキドキしたのですが、今回はその逆。

 

なんかドキドキしますよね!
これでOKにならなかったらハワイには行けない…という事になるかもしれないので…


カミさんは保留という事だったけど、数日後審査が通ったことが確認でき、二人ともハワイに入国できそう。

 

めでたし、めでてたし

 

ちなみにESTAのHPで確認したところ、下記の記述を発見。


Q 渡航認証が承認された場合、米国への入国は保証されますか。

 

電子渡航認証が承認された場合、Visa Waiver Programに基づき米国への渡航資格を有することが証明されましたが、これは米国への入国を保証するものではありません。米国到着時に入国地で Customs and Border Protection審査官による審査を受けますが、Visa Waiver Programに基づき、または米国法による何らかの理由で、入国は認められないと判定されることもあります。

 


Q 渡航許可が下りなかった場合、どうすれば良いですか。

 

申請した渡航認証に対し、「渡航は許可されませんでした」という回答を受信したものの、渡航計画を継続したい場合には、ビザ申請に関する詳細情報の確認のため、以下のDepartment of Stateのウェブサイトにアクセスしてくださいwww.travel.state.gov渡航認証の拒否は Visa Waiver Programに基づく米国への渡航を禁止したに過ぎず、米国への渡航ビザに関する適格性を判定するものではありません。渡航認証が承認されなかった件に関し、裁判所にはESTAに基づく適格性の判定を審理する権限はありません。

 

 

U.S. Customs and Border Protection、Department of Homeland Securityの公式ウェブサイトより引用

 

 

何かすごいですよね、、、ドキドキものです。

 

念のためにESTA申請済のページを二人分プリントアウトして保管。

 

 

 

まずは一つ完了かな…

最初からこうやって一つ一つクリアして行けば良いのにね、、、

 

本当に腰が重いんだから…

ハイ、、、腰というか体重は重いですけど、、何か?

 

これでハワイに入国できそうなのでまずは一安心。

私たち、ハワイ旅行に行く事になりました。

はじめましてオーバー還暦親父のトミー爺です。

初めての投稿です、よろしくお願いします。

 

このブログは、旅行大好き還暦親父「トミー爺」がハワイ旅行、お遍路旅、大好きなラーメン食べ歩き、音楽、を通して体験した事、カミさんとの珍道中、B級グルメレポ、そして趣味&仕事にしている音楽の事などなど、、赤裸々に?書いていきたいと思います。

 

これからよろしくお願いしますね、、、、

 

まずは2018年4月に行った「カミさんとの還暦夫婦のハワイ旅行」この鮮烈な思い出を紹介させてください。

 

ハワイ珍道中の序章 

 今回のハワイ旅行は、初めて自分達だけで旅行プランを組み立てたり予約する、、というとにかく初めて尽くしの珍道中だったのです。

 

それを夫婦二人で、、実際はトミー爺一人で行わなければいけなくなりその時の苦労話や笑える珍道中の模様を紹介していきますね。

 

もし、これからハワイ旅行を計画している方、、参考になれば良いな…なんて思っています。

 

この人たち何バカやってんだ…ドジだな…なんてね…

どうなる事やら…楽しみにしていてください。

 

 

【登場人物の紹介】

 ・トミー爺(男) 

オーバー還暦親父 、小心者、方向音痴、かっこつけ屋、計画立てるタイプ。

・カミさん(女)

還暦初心者、度胸がある、どうにかなるさ、東西南北には詳しい、行き当たりばったりタイプ。

 

 

 

さてさて、ハワイ旅行は今回で2度目、、2年前に娘の結婚式で行ったのが初ハワイ、、この時はツアーだったので初ハワイでも不安材料はなかったのですが今回は全く違いました。

 

 

まず最初に、なぜこんな大変な思いをしてまで老夫婦2人でハワイ旅行を決行しなければいけなかったのか?

 

それは今からさかのぼる事2年前、2016年にハワイに行った時に「無料の食事券をプレゼント…」という甘い文句に連れられて、ある説明会に参加したのがきっかけでした。

 

そこでトライアルの体験利用(有料)を申し込んだのですが、その利用期限が今年の4月に迫り、急きょ決まったハワイ旅行という訳なんですよ。

 

トミー爺も実は説明受けるまでは全く知らなかったのですが、海外旅行の宿泊って通常のホテルを利用しなければいけない…と思っていました。

 

しかし説明会の時にタイムシェア型のコンドミニアムを利用することも出来る、、という事がわかり、コンドミニアムの部屋、2ベッドルームの部屋や3ベッドルームの部屋を見学。これだったら娘夫婦や長男、親戚など何家族かで利用すると楽しいかも…と思ったのです。

 

そして、もう一つトミー爺らしい作戦がありました。

 

それは若者たちと行けば、めんどうな手続きを彼たちに任せて老夫婦はそれに乗っかれば良い…、アァ~楽ちん、楽ちん、、、という魂胆もありました。

 

この計画が成功する予定だったのですよ、、、

 

しかし、誘った全員から予定があわない…という連絡が来て、トミー爺の魂胆は土台から崩れてしまった、、、、

 

それが今回の珍道中の始まりなんです。

 

 ウインダム・ワイキキ・ビーチウオーク

2016年に説明を受けて体験利用を申し込んだのはクラブウインダムという所。今、CMとかで宣伝しているシェラトンホテル系のタイムシェアも盛んにPRしているので見た方や「タイムシェア型のコンドミニアム」の説明を受けた方もいると思います。

 

 今回使ったのが「ウインダム・ワイキキ・ビーチウオーク」というコンドミニアム型のホテルで、ワイキキビーチにも近く、ハワイのメイン観光エリアにある立地が良いホテルでした。

 

おまけに家具や食器に加え、洗濯機、乾燥機、の設備を完備、されているご機嫌なハワイ滞在でしたよ。

 

 心配だらけのハワイ準備 

ただ、今回のように泊まる所は用意されている…みたいなケースの場合、ホテル抜きの旅行ツアーってないですよね。

 

つまり全部、自分で手続き、手配をしなければいけないという事。

 

トミー爺のように海外旅行初心者にはかなりハードルが高いのも事実で、手続きのほとんどは、、そうです、頼りになる夫である?トミー爺なんですから、、

 

まぢ、大変だった…

 

友人たちが言うのは「ハワイは日本語で通用するから大丈夫…」なんて言ってくれますが、そうは簡単にいかないのが還暦夫婦旅…笑い

 

 

ツアー旅行だったら、天気はどうかな?、何処行こうか?何食べようか?ショッピングは?お土産は?

 

何の心配もなく楽しい事だけを考えていればよいですよね。

 

でも今回の旅は、、

  • 飛行機ってどうやって予約するの?
  • ESTAって何?
  • ハワイの空港からどうやってホテルへ?
  • 空港からのタクシーっていくら?
  • タクシーの運転手さんは日本語がわかる?
  • タクシーの運転手さんに行先はどうやって伝える?
  • ワイキキトロリーバスってどうやって予約?
  • ハワイに持ち込める食料品は?
  • えっ??カップラーメンはダメなの?

 などなど、、兎に角、わからないことだらけ…

 

今回は、とにかく心配だらけの旅行「心配ツアーズ」って感じで大変だったんです、、笑い。

 

ちなみに前回2016年にハワイ行った時の写真がこんな感じ。

 

 

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結構いいかんじでしょ…

 

さてさて、始まりますよ。

 

還暦夫婦のハワイドタバタ珍道中。

 

今回の旅行、とにかく最初からバタバタの連続、、楽しみにしていてくださいね。

 

珍道中、報告させてもらいますね。

 

よろしくです。

 

トミー染川のプロフィール

                                     トミー染川のプロフィール

名前   トミー 染川

生年月日   1954年10月

出身地    北海道 小樽市

【会社概要】

〒150-0002

東京都渋谷区渋谷3-5-16 渋谷三丁目スクエアビル2F

有限会社トライエックスミュージック社 代表 トミー染川

 

【会社web】

try-xmusic.jp

 

【トミー染川の略歴】

 

  • 1954  北海道小樽市に生まれる。
  • 1959 北海道旭川市へ転居。
  • 1972 旭川南高等学校卒業。
  • 1974 千代田テレビ技術学校放送学科入学。
  • 1977 千代田テレビ技術学校卒業。
  • 1978 在学中にヤマハ日吉センター入社
  • 1986 ヤマハ退社。フリーのPA、舞台監督として活動。
  • 1987 ユタカプロダクション入社。
  • 1988 ユタカプロダクション退社
  • 同年 株式会社ロックオンカンパニー入社。
  • 1998 音楽家育成システム「Song Bank」を立ち上げる。
  • 1999 ロックオンカンパニーを退社。
  • 2000 (有)トゥエンティーレーベルを相模原市に立ち上げる。
  • 2001 法人化準備の為(有)トゥエンティーレーベルを退社。
  • 同年 個人事業として屋号「ザソングバンクシステムズ」「トライエックスミュージック」として活動開始。
  • 2003 有限会社トライエックスミュージック社を設立。
  • 2006 8月に事業所を川崎市から東京都渋谷区に移転。

 

 

この後はトミー爺の生い立ちや人生波乱万丈の出来事を紹介、、

ちょっと長いので時間のある時ににでもチェックしてみて下さい。

 

 

 旭川時代

幼少時代 

5歳の時に両親の仕事の為、小樽市から旭川市に引っ越し曙町に居住。

引っ越し当初は孤独な少年、友達も出来ず、一人遊びが大好きな少年だったが、すぐ仲間が出来き悪ガキに変身。野原を野獣のように駆け回って遊び、雪が降ったら雪で要塞を作り雪玉を凍らせてそれを使った雪合戦が得意だった。

 

音楽に目覚める

小学校4年生の時にビートルズが来日、GSブーム(グループサウンズブーム)が到来する。小学6年生の卒業イベントでクラスでベンチャーズ当て振り芸を披露することに。12名くらい選抜され、掃除用のホーキに画用紙でエレキギターの絵を書き、それを張って全校生徒の前で当て振りデビュー。

 

ちなみにギター担当は6人くらい、ベースは一人もいなかった 笑い

 この体験以降、なぜか自分は音楽が大好きだ、、と思い込んでしまった。

 

吹奏楽部に入部 

無事に小学校を卒業、中学に入学。吹奏楽部に入部する事になる。

 

実際はトランペットを希望したが空が無かったためにトロンボーンチームに入る事に。いつしかトロンボーンチームのリーダーにまで上り詰める、、と言っても2人だけだったけど…笑い

 

バンドに目覚める

吹奏楽をやっていたことで楽譜の読みができ、当時、流行り始めたバンドに、のめり込むようになった。両親に頼み込んでクラシックギターを買ってもらい譜面が読める事をいいことに楽器もそこそこ上達した。

 

日曜となれば、仲間と友人の家に集まりバンド練習をするようにもなった、、この当時、今のような練習できるスタジオなんて無く、ドラムやギターを家の前の広場に出して家から電源コードをつなげて、原っぱが練習場、あの当時のご近所さま、、雑音ご迷惑かけました。

 

練習中に「うるさーい、やめろー」と何回も怒鳴られた記憶が、、笑い

 

もちろん楽器移動はリアカー移動。そこにドラムやアンプを乗せ、人力で1時間かけて友人宅まで運び、家の中で練習に明け暮れる。

 

アンプと言っても玩具みたいなアンプやテープレコーダーにギターを無理やり差し込み、音を増幅して代用していた。

 

この頃に友人宅のオープンテープレコーダーを使って多重録音にもチャレンジ、、「帰って来たヨッパライ」にのめり込む?

 

高校時代

中学を卒業後、旭川南高等学校に入学(私立時代)迷わず吹奏楽部に入部高学年になり自分の進路を考えるようになった。

  • プロのトロンボーン奏者になる
  • プロの録音エンジニアになる
  • それがだめだったら音楽関係の仕事がしたい

 結局「自分には音楽の道しかない」と勝手に思い込み、東京に行く事を決断。この時の無謀な決断が、なんの根拠もない田舎少年の決断?思い込みが今だに続いているって奇跡のような人生かも。

まだその途中ですけどね、、

 

19歳で単身東京に 

東京で大学受験にトライするが失敗。受験の日、お昼休みに入ったスナックでピラフを食べている時にスナックのママが言った言葉で人生が変わる。

 

「お兄ちゃんね、、〇〇大学を出ても何にもならないよ…」

 

そうか大学出てもダメなんだ…だったら手っ取り早く専門学校…と思って上野にあった千代田テレビ学校に入学。

運命を変えたヤマハ時代

千代田の同級生のOさんとMくんに声をかけられた。

 「そめさん、日吉のヤマハ、人が足りないんだけど来ない?」

 この一言でヤマハでアルバイトをする事に。

 

在学中も企業実習という形で1年ヤマハで働き無事に千代田を卒業。

本格的に契約社員としてヤマハで働く事に、実際に此処での7年間がその後の人生を決める事に。 

 

ガキトミーの当時の仕事は

  • スタジオ運営企画
  • 日吉センター主催のアマチュアコンサートの運営企画
  • マチュア楽家の育成業務を行う。

 こんな感じ

ヤマハ日吉センター時代

さてさて、ガキトミーが働いていた当時のヤマハはポピュラーコンテスト(ポプコン)、EAST WEST(関東エリア)などのコンテストに力を入れていて、自分が入った日吉センターは関東甲信越地区の中心的なセンター。

 

リハスタジオ5室、関東全エリアのポプコン優秀な参加者のレコーディングを一挙に行っていたレコーディングスタジオがあり。

 

また、エレクトーンやピアノのトッププレーヤーが練習やワークショップを行うホール、とにかく今までの人生が逆転したかのような環境だったんですよ。

 

その当時の音楽仲間がトミー爺の人生を決めたと言っても大げさではないかも…

 

当時一緒につるんでいたメンバーは「杉山清貴オメガトライブの前身バンド」「結成当時の横浜銀蝿」「若き日の千住明くん」「エイプリルバンド、のちの尾崎豊のバンド(ハート オブ クラクション)」「音楽プロデュ―サーの斎藤ネコくん」「のちに糸井重里さんらのゲームソフト、マザーに参加したゲーム音楽の巨匠?酒井省吾くん」らが日吉を舞台に切磋琢磨していた時代。

 

そして何と言っても最初に日吉に行って度肝を抜かれたのがまだデビュー前の渡辺真知子さんの歌を聞いた事。とにかくこの時代の人脈がのちの宝物。

 

ヤマハ退社、フリーランス 

ヤマハ時代のガキトミーは色んな事にチャレンジさせてもらった。

けど、その道のプロにはなれずに悶々とした時代、、そんな時にのちの会社名にもなったバンド「TRY-X」に出合う。

 

彼たちの才能に衝撃をうけ、彼らのバンドマネージャーとして活動も始める。

 

その流れもあってこのままではいけない…と思い1985年  ヤマハ退社。

TRY-Xのマネージャーとして活動、生きる為にフリーのPA、舞台監督としても活動。ヤマハエレクトーン関係のコンサート、鳥塚しげきさん(ワイルドワンズ)のファミリーコンサートなどの制作を行う。

 

トミー染川の誕生 

とはいえ、全く無名のマネージャーが何をすることも出来ず、日吉時代に親交を持った横浜銀蠅の嵐さんに相談。

 

「そめさん、お前は顔が濃いから名前も濃くした方が良い」

 

というアドバイスで、ここに「トミー染川」が誕生。

 

人脈を広げる為に横浜銀蠅の事務所に社長のアシスタントとして入社。

そして社長のアシスタントという肩書が「子分」(社長が親分だからアシスタントは子分だという理由で)

 

ここに「子分 トミー染川」が誕生する。

 

しかしTRY-Xは解散、リーダーのTsukasaくんが作曲家になるという事で彼のマネージャーとしても活動始める。

 

株式会社ロックオンカンパニー入社 

ユタカプロダクションでの仕事修行中、母が一時的な記憶喪失になる。

その後快復するも、それをきっかけにユタカプロを退社 。あるレコード会社のディレクターさんの紹介で新しく出来るアレンジャーの事務所、 ロックオンカンパニー(以下、ロックオン)に参加することに。

 

このように文章で書くと「たった数行」の話が、トミー爺にとって人生を変える数行になった。

 

当時のロックオンがマネージメントをしていた編曲家、エンジニアたちは当時の音楽シーンをつくりあげていた人たち。

 

そんな事を知らないトミー爺はついていくだけで必死。

 

社長と一緒に編曲家が仕事をしているスタジオに行くと、レコードクレジットでしか知らない日本のトップミュージシャンが居て、アーティストと一緒に音楽の話をしているトミー爺。

 

以前はレコード会社のスタッフを必死に捕まえようとしていた人間が、逆にレコード会社のスタッフから追いかけられる立場に…

  

当時の担当メンバー

  • 西平彰くん 彼は新進気鋭の(keyboard,編曲家)担当アーティストは氷室京介さん、平松絵里さん、槇原敬之さん、鶴久政治さんetc.
  • 西本明くん 彼も新進気鋭の(keyboard,編曲家)担当アーティストは尾崎豊さん、佐野元春さん、稲垣潤一さんetc.
  • 水島康宏くん(作曲家) 高橋真梨子さん『ごめんね』etc.
  • Tsukasaくん(作曲家) 後日、嵐さんの「時代」詞、作編曲担当
  •  関根安里くん(作、編曲家)中森明菜さんのTATOOの作編曲
  • 佐藤ありすさん(作詞家)CHU CHU TRAINの作詞
  • 澤地隆さん(作詞家)チャゲ&飛鳥さんなどの作詞

 

このメンバーを一人で担当することに、結構、大変で、これだけ考えたら波乱万丈の人生でしょ、、まだまだ続きます。

 

Song Bank誕生 

http://www.songbank.jp/index.html

 

作家のマネージメントをしていると新人作家さんのデモを聞くケースが増えてきたある日、ある作家さんから言われたひとことがその後のトミー爺の人生を変える事に

 

「トミーさんのアドバイス、物凄く分かりやすい…」

 

その時は「そうなんだ…」とただ感じていたのですが、その後、新人作家さんから「ロックオンに所属させてください…」という要望が増えてきた、、、けど、専属作家制度しかなかった当時の作家事務所、ロックオンも当然そうだったので、お断りするしかない日々が続く。

 

ある日、閃いたのですよ。

 

「専属作家さんとして個人と契約は出来ないけど、その作品と契約する仕組みが作れないか?」

 

これだったら個人を専属契約の縛りで拘束する事はないし、音楽業界は新人作家を求められている現状、新人作家を世に送り出す手伝いが出来るかも…

 

トミー爺、一人で考えました。

 

そしてやっと考え出したのが「Song Bankシステム」だったのです。

 

お蔭様で2018年7月現在、44名、115作品がCDなどで作詞家・作曲家デビューを支援することが出来ました。

 

まだまだ進化続けて行かねば…と思っています。

 

 

トミー爺の今はどうしている?

  • 1999 ロックオンカンパニーを退社。
  • 2000 (有)トゥエンティーレーベルを相模原市に立ち上げる。
  • 2001 法人化準備の為(有)トゥエンティーレーベルを退社。
  • 同年 個人事業として屋号「ザソングバンクシステムズ」「トライエックスミュージック」として活動開始。
  • 2003 有限会社トライエックスミュージック社を設立。
  • 2006 8月に事業所を川崎市から東京都渋谷区に移転。

などなど、これだけ見ても波瀾万丈の人生。

 

現在もしぶとく頑張っていますよ。

  • 作曲家のマネージメント
    AKB48グループや高橋真梨子さんへの楽曲提供。
  • 山口出身のちひろさんのCD制作、ライブ制作のお手伝い
    CD「メッセージ」「Reborn」「愛のメッセージ」
    ライブ「15周年ライブ」
  • 各地での作詞、作曲勉強会、ワークショップの開催
    東京、大阪、札幌、名古屋、福岡、広島
  • 専門学校の講師
  • うたまっぷ作詞スクールの添削や運営のお手伝い

トミー爺の人生航路、まだまだ続きます。

こうご期待!