旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

人生は旅!音楽も旅!音楽一筋40年トミー爺の旅日記。"音楽" "グルメ" "ラーメン" "旅行" "ダイエット"などを独断と偏見の哀愁目線でお伝えするブログです。

若きトミーのまだまだ負け続け人生、、光は見えるのか?

さて若きトミーのドタバタ人生、第三弾です。

人生なかなか上手くいかないですね、、27歳くらいでヤマハを退職、それからPAや舞台監督の仕事をしながら作曲家志望の友人Tくんとデビューを目指した…そこまで書かせてもらいました。

 

この記事の内容は

とにかくガムシャラに突っ走るもダメダメ人生は続く

和田加奈子さんの「夏のミラージュ」でTくんの作曲家デビューはヤマハを退職して2年くらい後の話…それまでは、とにかくガムシャラに働きました。

ヤマハ時代にやっていたPAの仕事、音響スタッフをやりながら作曲家Tくんのプロモーションに明け暮れる毎日が続き、幸いにも仕事の声をかけてくれる仲間もいて助かったんだけど、確かそのころも目標として月30万稼ぐ…これを目標にしていた記憶がありますよ。

確かあの時代フリーのPAとか舞台監督のチーフクラスのギャラが本番一本5万くらいだったかな…でもトミー青年、下っ端クラスなので本番1~2万くらい。

下っ端クラスのトミー、通年通して仕事があるわけではないのでアルバイトを掛け持ちして日々食いつないでいたって感じでした。
 

そうそうそんな時にあの人に相談したんです。 

 

染さんお前顔も濃いから名前も濃くしなよ…トミー染川の誕生

ここで登場するのが横浜銀蝿の嵐さん、そのころの銀蝿って飛ぶ鳥落していて、日吉をやめてからは年に2回くらい事務所に遊びに行く感じの付き合いでした。

 

まったくの素人マネージャーがレコード会社に電話しても話なんか聞いてもらえない…相手にされない日々が続きました。

確かデモを郵送する時に封筒にデカく「ヒットする曲在中」って書いて送ったこともある、笑い。

 

そのくらい目立つために何でもやった、、、
 

しかしそれも限界があり、そこで嵐さんに相談したら「だったら染さん、俺の所で働いて人脈増やしてみれば…」と言ってくれて、嵐さんの事務所のスタッフとしても働くようになったんです。


そのころ何でもやっていたから二股でなく六股くらいの仕事量だったかな?

ある日嵐さんと打ち合わせをしていて

「俺の所のスタッフでパンチってやつがいて…」みたいな話になり、どうやらそのパンチさんは派手な名前にしたら仕事が広がったらしい…
 

「染さんも顔濃いから、名前も濃くしなよ…」

下の名前聞かれて「トミカズ」って答えたら「ソメカワトミカズ」どっちが苗字か名前かわからない…みたいな話で一緒に名前を考えてくれたんです。

 

そこで誕生したのが「トミー染川」。
もう一つの候補が「サムソン染川」、、でもボツに…笑い

そして名刺を作る話になり、肩書が必要だな…という事で、嵐さん曰く「俺が社長、トミーがそのアシスタントだろ、、俺が親分で、トミーは・・・・・」

 

そしてできた名刺が
 

子分 トミー染川


ということになった、案の定、名刺交換ではその肩書、名前で盛り上がる…そしてびっくりしたのが今まで相手にされなかった業界の人たちも
 

嵐さんの事務所の子分、トミー染川です。
 

って言ったら「どうもどうも…」みたいに今までの仕打ちは何だったんだ…って感じで接することが出来るようになったんですよ。

 

事務所の肩書ってすごいですね 。

この時は肩書きがある事でメリット感じたけど、そらから10数年後に逆の経験もする、、それは後で紹介しますね、、

 

トミーの年収120万、税務署スタッフから「どうやって暮らしているの?」

嵐さんの事務所では人生初の「有線放送所」回りをやった、事務所所属のバンド「ストリートダンサー」というちょっとビートルズっぽいテイストのバンドがいて、その新曲を有線放送所に行ってレコードをかけてくれるように営業する仕事をしたな…

 

関東近郊にある放送所は全部回った…放送所には有線嬢がいて営業に行くとその場でかけてくれる、、そのうちの何回かは、リスナーさんから「今の曲は誰のですか?」なんて問い合わせが来たりする、、、うれしかったね!


嵐さんの所で半年くらい丁稚奉公をしながら作曲家Tくんの営業も並行していった、二人の頑張りもあって和田加奈子さんのCDで少しづつ採用され始め結構成果が出てきた時期に、、ある出来事があり嵐さんの所を退所することに。

当時、トミーも結婚して家庭を持つようになり、余計にお父さん頑張らなくては…と言う事で音楽の仕事、アルバイトなど複数こなしながら頑張っていたけど、最初は本当に収入無くて、確か年収120万くらいだったかな、、夢ばっかり追っていたからね…

税金の申告(確定申告)で税務署のスタッフからこんな質問が

「トミーさんはどうやって暮らしているんですか?」
「ハイ、女房に食わせてもらっています。」
「頑張ってくださいね」 

 
今考えるとよくあんな時期に結婚したよな…笑いと思ってしまいますよ。

そんな時期に母親の具合が悪くなり、イコール今以上に頑張って働かなくてはいけなくなったんですよ。

嵐さんに相談したら「わかった、御袋さん大事にしろよ」って背中を押してくれたのが凄くうれしかったのを思い出します。


その後母親は無事に回復し元気になった、、しかし、トミー青年は相変わらず超低空飛行の毎日、、トホホ、、、

 

そうそう、丁度この頃だったかな?カミさんとファミレスで食事してたら日吉時代のバンド仲間が入ってきた。

 

向かうもこっちに気がついてくれて「久しぶり、今どうしてる?」って聞いたら

「尾崎やってる」という答えで、てっきり尾崎紀世彦さんのことだと思ったけど勘違いで尾崎豊さんのことだった、笑い。

 

後で知ったのだけど彼達が尾崎さんのバンド「ハートオブクラクション」だった。

 

トミー爺もその後に尾崎さんの最後のツアーとアルバムで仕事させてもらうことになるなんて、この時は夢にも思って無かった、、その話はどこかで紹介しなくちゃね

 

トミー、〇〇くんが事務所を作ったんだけど手伝ってあげて

そんな中、世の中上手くできていますよね、、仕事仲間のディレクターからあるお誘いが…


「トミーさん、〇〇くんが独立して作家事務所を作ったんだけど手伝ってあげて」

その時、お金になるんだったら何でもやってやろう!という姿勢のトミー青年、何も考えずに「いいですよ!」と即答。

家に帰ってからカミさんに事務所に誘われた…って話したら

「よかったね、ところで給料なの?いくらもらえるの?」

そういえば、そんな話は一切なく、固定給もらえるんだったら今よりも良いか?

くらいにしか思っていなかったな、、、のんびりした性格ですね。

今まで負け続けていたトミー青年がここから巻き返しに転じる、、続きはこの次に、、

 

今日のお薦めの一曲

実はトミー爺の音楽観が一変した曲がこれ!「宇宙のファンタジー」このバンドのライブを武道館に見に行って「ショー、エンターテインメント」としての音楽の重要性に気がつかせてくれた曲です。


www.youtube.com

 

お薦めの一枚

作曲家だったら必聴のアルバム。今から40年前の音楽、今聞いても全然古くない。このグループのリズムグルーブが凄い!どうやったらこんなグルーブが出せるのか?研究してみてください。 

アナログ盤もぜひ聞いてみるとCDと全く違っている音の世界を堪能できるかも 

 

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若きトミーの人生航路2 もう上なんか見る気力が無いくらい負け続け

横浜市日吉にある「ヤマハ日吉センター」でアルバイトする事になったトミー少年、約7年ほどここで働くことに、、、そして、ここで将来につながる色んな人たちと出会い色んな経験をすることになったんです。

 

この記事の内容は


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こいつらには勝てないわ、、俺はスタッフとして生きていく

さてヤマハでどんな仕事をしていたかというと5部屋あるリハスタジオの運営管理。

エレクトーン教室の建物内楽器移動、

研修ホール収容は200名。会議用スペースに簡単なステージとPA装置常設、そんな総合施設のスタッフとして働いていました。
 

当時ヤマハポピュラーソングコンテスト(略してポプコン)やバンドコンテストのEAST WEST(関東甲信越エリア)を開催していて、日吉センターは横浜の中心的な存在。プラス周りに無料駐車場もありミュージシャンが集まってくる拠点。

 

実は、トミー少年、「俺はやれる!」そこそこ思っていたのですが日吉に集まってくる人たちはとんでもなくレベルが高かった、、、

 

まず友人に連れられて初めて日吉センターに行ったときに、ホールで高校生バンドがライブをやっていてボーカルもうまかったけどギターの少年が信じられないくらいのテクニックだったんですよ、、

 

「うわー、なにこれ!!」って感じで、東京では高校生でもこんなレベルなんだ、、

ミュージシャンの夢あきらめて良かった…本当に真剣にそう思いました。

 

それもそのはずそれから10数年後にその時のギター少年と再会、なんと彼はその後世界遺産のテーマを担当する鳥山雄二くんだったんです。

 

リハスタ3時間予約して4時間練習する謎のバンド

日吉のリハスタって1時間単位の貸し出しで、前の利用者が終わってから1時間空けて次の利用者に貸し出す。
 

そんなシステムで、ある時から週2回くらい午前中3時間予約するバンドがあったんです。彼らは日吉のシステムを良く知っていて、というか研究していて、予約開始が朝10時からだったのですが必ず11時から14時まで予約するんです。

そして朝10時ころ来て、「染さん、スタジオ空いてる、、じゃ荷物を入れてもOK?」なんて言いながら10時30分ころにスタジオに入っていく、そして14時30分まで練習する、受付スタッフも見逃していたんですがなんと計画的に練習していたんですよね、、そのバンドは4人編成で雰囲気的に不良っぽい風体、でも話すと良いやつ…
 

そしてある日「染さん、俺たちデビュー決まったから…」と言ってきたので「おめでとう!」と言ったはいいが、、、ホントかな?80%は疑っていました。
 

ところがある日、いつもの様に来た彼らの姿が白いドカン、革ジャン、サングラスで現れたんです。街で出会ったら絶対目をそらす風体ですよね、、そう彼らが横浜銀蝿だったんですね、、イヤービックリしました。

 

それから現在に至るまで仲良くさせてもらっています。

 

そうそう、あとで書かせてもらいますがトミーの「トミー」って銀蝿の嵐さんにつけてもらったんですよ、、

 

きゅーぱんとトラバツわらの犬…深夜ミーティングは井田デ

あの頃日吉に来ていたミュージシャン、仕事始めた頃は「わらの犬」というフォーク4人バンドがいて衝撃でした。

彼らの作る曲、アマチュアが作る曲ってそれなり…だと思っていたトミー少年、ところが彼らの作る曲ってプロのそれと変わりないくらいいい曲ばっかりだったんです。

 

本当にこれが東京の実力か!と思いました。
 

あと「きゅーてぃーぱんちょす」というバンドがいて彼らもすごかった、演奏は上手かったし曲もすごくよかった…彼らは後に「杉山清貴オメガトライブ」として大成功するのですが、あの頃はみんな目がギラギラしていましたよ、、トミー青年も含めてね(いつの間にか少年から青年に成長!笑い)

 

PA、RECエンジニア、舞台監督、企画構成、色々やったけど上手くいかない

さてトミー青年としては色んな仕事をやりました。しかし、何をやっても仲間に先を越されて、追い抜かされてしまう、、早い話、すべて中途半端。

 

自分自身、本当に悩みました、日吉の中ではある程度できるのですが、しかし、プロとして活動できるレベルでは自分としても無いと思うし、またヤマハの社員になる話も一向にない、、周りはどんどんプロデビューしているのに自分だけ取り残されて行く感じでしたよ、、本当に

そんな時に一途の希望が、、、
あるバンドがプロデビューの手助けしてくれないか…という話が、、彼らと一緒にプロへの階段を上がって行く…これは唯一自分のスタイルに合っている感じが、いやその道しかなかったかな?自分の進む道としては…

そうすると今まで中途半端と思っていたPAも舞台監督の仕事も頑張ってやれるようになっていって、でも本業はバンドデビューの手助けの仕事…みたいに割り切れるようになったんです。

そのバンドがTRY-Xというバンド、今のトミー爺の会社の名前になっている。

…で、あの当時TMネットワークが出てくる前、打ち込み中心でそれに加えて、ドラム、ベース、ギター、キーボード、パーカッション、ボーカル、シンセのマニュピレーター、というメンバーがいる、斬新な編成でした。

デビューの夢は破れて途方に暮れるトミー青年、作曲家のマネージャーに

TRY-X、結構いいところまで行ったんです、レコードメーカーの最終オーディションまで行ったけど、結局デビューかなわず…はっきり言って目の前真っ暗ですよ。

そしてバンド解散。

もう崖っぷちです、、夢破れてそして何もなくなった…って感じでした。


ただ、バンドのリーダー、T君が作曲家としてやっていきたい…と言う事で、その手伝うことにしました。というか、その選択肢しか無かったんです、上を向いて、前向きにやれることが 、、
 

やれることは全部やってみた…が結果が出せない日々が続く

まずはバンドで最後にお世話になったプロデューサーに相談、、しかし、運悪くそのプロデューサーが制作から宣伝に移動になった…どこまでついていないのか?

そして新しいプロデューサーを紹介してもらい、その人に会いに行きました。

 

おっかなびっくりですよ、デモを聞かせていると一言

「彼、T君、才能あるね…今、稲垣くんの曲集めているから何曲か聞かせて…」

 

と言ってくれたんです。


「彼、才能あるね…」この一言に大感激のトミー青年。

そうそう、稲垣くんというのは稲垣潤一さんの事でそのプロデューサーだったんです。

 

そこから二人で必死に食い下がりました。

しかし、それでもダメで、採用されず、、本当に挫折です。

作曲のT君も、トミー青年ももう立ち上がれないくらいにナイアガラの滝の上から真っ逆さまです、、

でもある日電話が鳴り、チャンスが訪れたんですよ、、

 

「T君って最近忙しい?アニメを歌う女性歌手がいるんだけど曲書いてみない…」

これは人伝えで面白い作曲家がいるってある事務所に噂が流れ、そしてその関係ディレクターから連絡が来たのです。

 

そしてついに作曲デビューがそれがアニメ「きまぐれオレンジロード」のエンディング曲「夏のミラージュ」。


www.youtube.com

 

夏のミラージュ

作詞 湯川れい子

作曲 Tsukasa

編曲 鷺巣詩郎

歌  和田加奈子

 

うれしかった…本当に…

 

これから色んな縁がつながっていくことに

 

こうご期待

 

トミーが推薦する今日の一曲

という事で今回は和田加奈子特集という事でこの3アイテム。非常に上質なポップスだと思います。ぜひ聞いてみてください。

 

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若きトミーのジグザグ人生航路~ヤマハ編~

久しぶりのブログです(いつもですよね、、反省)

さて今回は「若きトミーのジグザグ人生航路~ヤマハ編~」と称して、トミー爺がどんなドタバタ人生を経て今に至るか?

 

ブログに残すほどの話ではないかもしれませんが、ちょっと文章に残しておきたくなってしまったので書かせてもらいます。

 

このブログの内容は

 音楽少年19歳で北海道から26時間かけての上京編

1974年ころだったかなクラシックのレコーディングエンジニアになりたかったトミー少年、どうせ目指すんだったら東京の日大芸術学部に入りたい…と思い、必死に勉強するも見事1浪。北海道で一人で勉強していても合格できない…と一念発起。

 

両親に頼んで東京の予備校に通うことにしたんです。

その当時飛行機なんて高くて乗れないので、当然電車移動。

今だったら旭川空港から一飛びで東京行けるのですが、その当時は特急移動、それも時間がかかる、、たしか、、

旭川~札幌経由で函館へ  9時間

函館~青森 青函連絡船  5時間弱

青森~上野        12時間

 

凄いでしょ、、それも列車はリクライニング無のボックスシート、約一日座っているんですよ。

 

おまけに3月くらいの移動だったので雪で列車が平気で2~3時間くらい遅れる、そうすると函館で連絡船のれない、当然、青森で乗る予定の列車にも乗れない…

 

今だったら考えられないですよね

 

2浪したトミー少年、スナックのママの一言で専門学校へ

初めての東京暮らし、確か調布の深大寺にアパートを借りて一人暮らしのスタート。

そこから予備校に一年間通いました。

 

一年間予備校で勉強したけど、日芸の壁は高く、結局その年も落ちてしまう、プラス、日芸しか受けなかった、滑り止めなんて考えられなかったんです。

 

エンジニアになる為には日芸受けるしか道はない…と思い込んでいたから3浪するしかない…そんなふうに思い込んでいたトミー少年に神様がささやきかけてくれたんです。

日大芸術学部って江古田って街にあって、受験した日にふらっと入ったスナック。

ここがトミー少年の人生を変えた場所、一言なんです。

 

「お兄ちゃん、日大芸術学部でてもだめだよ…」

 

確かこんな風な事だったと思う、その一言を聞いてなんか吹っ切れて、そうか別の道でエンジニアになろう…

 

なんか漠然とそう思い込んでしまった。

人生、方向転換する時ってそんな感じなんですね…

 

そして吹っ切れたトミー少年、上野にある放送系の専門学校に入る事に、これがトミー少年の人生を決定つける行動だったんです。

 

初めてのレコーディング実習はフェードイン、フェードアウト

そして入学したのが千代田テレビ技術学校「放送学科」というところ。

放送学科で音楽レコーディングについて勉強しようとして入ったけど、実際にやったのはフェードイン、フェードアウトの実習だけ。

 

でもあの当時のトミー少年には革命的な実習でしたよ、、、なんせ初めて音楽をミキシング?したんですもの…笑い。

 

そんな専門学校だったけど唯一良かったのは同級生、仲間。

 

当然、仲の良いグループが出来て、その中に今でも仲良くしてもらっている友達、彼はヤマハ関係のバイトをしていたんです。

 

トミー少年、初めての音楽のバイトは武道館

人生を振り返ってみると本当に友人、仲間に恵まれていると思いましたよ。

 

専門学校(2年制)の1年の秋に声がかかったんです。

 

「染めさん、武道館で仕事があるんだけどやらない…」

 

武道館ですよ、、あの…

 

当時のヤマハポプコンポピュラーソングコンテストの略)をやっていて、その最終段階が世界歌謡祭でそれの仕事があるっていうんです。

 

確か交通費しか出なかったと思うけど、お金なんかどうでも良いですよ。

音楽の仕事ができれば…そこでスタッフさんと仲良くなって…なんて考えていました。

 

その仕事というのが開場前に座席にチラシを置く仕事、そして開場になったらお客さんの席案内でした。

 

音楽の仕事では無かったのですが、トミー大満足でした。

ポプコンのトレーナーをもらって、歌謡祭のパンフレットももらった。

 

そうそう、その時のグランプリが中島みゆきさんの「時代」でした。
この曲はあとでリアレンジされたやつ 

時代

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 こちらがオリジナルのCDバージョン 

時代

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兎にも角にも この曲が世に出る瞬間を目撃したんです。

それ以外にもすごい人たちが、チャゲ&飛鳥八神純子因幡晃、サンディ、松崎しげる、、その人たちのリハーサル、本番を見ることが出来た。

 

中でもサンディは衝撃だった、あんなに歌が上手い人って世の中に居たんだってね

そこから5~6年後に再開するのですが、まだまだ先の話です。

染さん、日吉に新しくヤマハのセンターができるから来ない

確か1年生の終わりくらいだったかな?

 

ヤマハでバイトしていた仲間が「染さん、日吉にヤマハができるんだけど手伝ってくれない」って誘ってくれたんです。

 

神奈川県の横浜にある日吉という街、日吉と言えば慶應義塾大学がある所で有名。

 

そこにヤマハの音楽センターが出来て、エレクトーン教室、幼児科、バンド練習用のスタジオ、ポプコン用の録音スタジオ、小ホールがある施設でした。

 

そこのバンド練習スタジオを中心とした音楽センター全般での仕事。

 

断る理由ってなかったんで「いいよ!」って軽く返事をしたんだけど、その返事がその後の人生を変えるなんて今は夢にも思っていないトミー少年でした。

 

【予告】、、笑い。

 

ヤマハのセンターで働くことになったトミー少年。

のちの音楽シーンを塗り替えるような人たちと親交を持つことになるんです。

 

そしてこのへんから紆余曲折の人生スタートです。

 

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

 

 

65歳からの仕事。音楽、そして新チャレンジ!ダブルワーク人生スタート

お疲れ様ですのトミー爺です。

世の中コロナ旋風が吹き荒れていますが、皆さん、そして回りの方は大丈夫ですか?

 

トミー爺、そして家族はお蔭様で元気にやっています。

 

さて、またまた久しぶりのブログなのですが、実は昨年の秋頃から今までのトミー爺の人生、約65年生きて来た人生で「面舵一杯!」というくらい大変化があったんです。

 

それが「音楽屋と防災センターマン」のダブルワークを始めたんです。

 

このブログの概要

 

これまでの生き方とこれからの生き方

 トミー爺、20才の頃からほぼ音楽屋一筋の人生。

 

ただ一言で音楽屋一筋と言っても、同時に3つ4つの仕事が同時進行なんてよくあり、そんな生活に慣れていたんですが、そこに大きな荒波が押し寄せたんです。

 

 ・音楽業界の不況

 ・コロナ旋風による大逆風

 ・年齢と仕事のバランス感覚

 

トミー爺の上にこの3つの壁がのしかかって来たんですよ、、トミー爺大ピンチですよね、、自分で言うなって?笑い。

 

その中で一番大きかったのは年齢とこれからの人生…という岐路にたってしまった感じがして、65才からの生き方をどう考えていくのか?

 

それが個人的には一番重要でした。

 

自分の働くゴールを決めてみようかな、、そうだ!7 5才まで働こう

 

何で75才までなのか?

 

答えは簡単、50才の時に購入した家のローンが75才まで残っているから…笑い。

 

分かりやすいでしょ、、でもそこまで現役で働く!

そう決めた時にふと思ったのは?

 

「そうだ!ダブルワークも悪くないのでは!!」と閃いたんです。

 

先ほど書かせてもらったように今まで音楽に関する色んな仕事をしてきましたよ

 

音響PA、舞台監督、作曲家、作詞家のマネージャー、アーティストのマネージャー、編曲家のマネージャー、レコーディング制作マン、作曲家、作詞家の育成、専門学校の先生、着メロ制作マネージャー、リハスタジオの運営管理、コンサートの企画運営…

 

それが同時並行で2~3プロジェクトが進行してたから…だから手帳が欠かせないんですが…

 

でもそろそろお年だし、音楽業界は不況だし、ただ、作家さんを育てるのは天職だと思うし、、ローンは残っているし

 

そう考えて、出した結論が「ダブルワーク」

 

ダブルワークって何を?この年齢で働けるところはあるのか?

 

自分ではまだまだいける…と自負しているトミー爺。

でも世間的には高齢者の枠に入っているらしい…

 

時間がきっちりと読める仕事、そして昼間は出来るだけ今までの仕事でつかえるようにする…

 

そう考えると夜、働く所がベスト…色々と連絡を取ってみると…

 

「うちは60才までです…」「年齢が…」

 

初めて年齢という現実にぶち当たる…

 

それでもめげずに探したところ、大学や病院の防災センターの仕事があったんです。

 

連絡してみると面接してくれることに…

 

それから新任者研修、現場研修を経過して、昨年の10月くらいからボチボチ仕事を開始出来た

 

そんな時にコロナ旋風が吹き荒れる…

 

我ながらグッドタイミングのセルフマネージメント。

 

65才からの音楽屋と防災センターマンの両立はきついけど楽しい

 

現在やっている音楽屋の仕事

 

・月一回開催する作詞家、作曲家のゼミ

・作品添削

・専門学校の先生

メールマガジン月2回

・ソングバンクの会報不特定発行

 

などがルーティーンワーク。

 

それにプラス防災センターの仕事

 

これが24時間勤務(実働16時間)、例えば、朝9時から翌朝9時までの勤務で大学や病院のセキュリティを守る仕事がメイン。

 

実は、この仕事が良いと思ったのは休憩時間がしっかりとある事と睡眠時間が取れる事

 

休憩時間に集中して音楽の仕事をやったり、今後の仕事のアイデアを考える事も出来るのがベスト!

 

65才の受験生、、何年振りだろう受験って?

 

防災センターで働くために必要な資格が「防災センター要員資格」と「自衛消防技術者の資格」

 

最初の防災センター要員の資格は企業の中で防災センターの組織に入るために必要な資格で、これは全国共通の資格。

 

だから受ける人数も多いし、女性も沢山受験しに来ていた…

 

この講習は2日間あって、初日は座学的な講義中心、2日めは実践的な実技講習が中心で最後に効果測定の試験がある。

 

それと「自衛消防技術者」の試験は、これは東京都が発行する資格で、しっかりと勉強して行かないと容赦なく落ちる。

 

午前中に筆記試験があり、そこで合格した人が午後の試験に臨める。

 

トミー爺も2か月くらい問題集、教科書を読んで臨みました。

 

筆記試験は見事合格、午後の試験も何とかクリアしたつもり…

 

結果は2週間後に発表、やりました合格です。

 

試験勉強って50年くらい前に大学進学の試験勉強以来だったのでめっちゃ緊張しましたよ、笑い。

 

そんなこんなでとにかく、こんなに働くのは人生二回目くらいかな、笑い。

 

そうそう30代の時に4人くらいの編曲家と作曲家のマネージメントをやりながら、レコーディングコーディネートをこなしていた時以来かも…

 

でも、65才からの仕事スタイルとしてなかなか気に入っています。

「THE 孫」名付けて「怪童キッドくん」が我が家にやってきた

最近、世の中的に大変な時期、、特にトミー爺のお世話になっている音楽業界って、イベントあって、CDが売れて初めてお金が回ってくる…職種なんですよ。

 

ところが、今さらながらですが「コロナ旋風」が吹き荒れていて、イベントの自粛、コンサートの中止、延期、、、

 

本当に大変、、トミー爺だって大変ですよ、、、皆んな頑張って生きましょうね、

 

そんな時期に我が家にやって来たのが初めての孫くん、、こと「怪童キッドくん」???、、ん???、、どこかで聞いた事がある名前…

 

まあいいですよね、笑い。

 

長女の第一子、元気な男の子です。

 

 

 

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怪童キッドくんが2か月早く生まれてきた

 

 出産予定日は5月だったのですが、色々あって2か月ほど早く生まれてきたんです。

 

娘が病院に行って、帝王切開で出産する…なんて、ジジババ初心者にとってはとんでもない事で、、

 

そうそう、その日は丁度、東京の勉強会の日だったと思います。

 

爺、婆とも自宅でソワソワするばかり…

 

無事に元気な男の子が生まれた…という第一報が来た時のうれしかったことって

 

カミさんと年甲斐もなくハイタッチで「やったー!」の連呼。

そして二人とも目から雨が降ってきました、、笑い。

 

しかし逢えない日が続きます

 

 それから1ヶ月半くらいかな…病院の集中治療室でスクスクと育ち、、

娘が送ってくれる孫の写真を見て盛り上げ合っていました。 

 

 そしてとうとう、その日がやって来たのです。

そうX デイ、待ちに待った退院の日です。

 

そして我が家に怪童キッドがやって来たんです。

 

f:id:tommysomekawa:20200712185001j:plain

 

気持ちよさそうに寝ていますね!!

 

 

 それからが我が家はうれしいやら、バタバタやら?で大パニック状態。

 

孫が「ギャー!」というと、そこにいる全員での連係プレイ。

 

笑ったりするものならおのおの携帯を持ち出し、パチ パチ パチ。

 

5月の頭、連休明けくらいから6月の末、娘の家に帰る時まで、本当に大変で楽しいひと時でした。

 

 

という事でコロナが早く終息することを祈って、この写真をアップしておきます。

 

f:id:tommysomekawa:20200712190125j:plain

 

トミー爺の手と孫の手、、宝物の一枚です

 

それと今回は虐〇と間違われそうなのでアップしないですが、トミー爺の拳と孫の顔の大きさが同じくらいだったので拳を顔に近づけて写真を撮りました。

 

その時、キッドくんは「やられた顔」したんです。

 

どう見ても孫をいじめている…としか見えないので今回は紹介できません。

 

笑い

 

 

ハニーフレンチトースト。ケイタリングプロが教える、簡単極旨のレシピ!

お疲れ様で~ス。

のトミー爺です。

 

今日は俺にでも出来る、、いや、、出来そう…素敵なブレックファースト「ハニートースト」の作り方を紹介しましょう。

 

何でトミー爺がそんな事をする、、出来るの?

 

いやいや旦那さん、私が作るのではなく友人の「シュンちゃん」が運営しているYoutubeチャンネルが面白くて、シュンちゃんに頼んでブログで紹介する事の了承を得た、、

 

という事で題して「コロナ自粛、たまには料理なんかしてみようか編、寂しい男たちのブレックファースト」と題してお届けしましょう。

 

このブログの内容は 

 

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どう、美味しそうでしょ…

 

なんとシュールな料理教室なんだろう…

 

映画の撮影現場やイベントなどでケータリングをやっている「ケイタリング en」のシュンちゃん、、とうとうユーチューバーを目指してスタートしたらしい…

 

結構斬新でシュールな内容になっているんだよな…センスが良い!!

 

???

 

まずは今回のビデオに関してのコメントがなんともイカシテいる。

 

 

今、オレにできることは何なのか?

 

おそらく、何もない。

 
これは弱音ではなく、ひとつの答えだ。

 

では、これまでに生まれた人の縁は、いったい何だったのか?


これだけは、はっきり言える。

 

人生の宝、だ。

 

そんな何もないオレから絞り出すモノは、何の価値もない絞りカスかもしれないが、この地球上の、ほんのひと握りの人たちが、おもわず笑顔になってくれれば、それがオレにとっての、輝く瞬間なのかもしれない。

 

だから、オレはメッセージは送りつづける!

 

 

キミに響け!

 

 

ウーンなんともシュールなコメント、、、お料理教室でしょ?

 

「MUGEN NO en」シュンちゃんがお届けする究極のブレックファースト?

 

 

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なんで花が出てくる?

 

そうそう、ハニーフレンチトーストというと


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食材と下準備は…


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オーっと、ここから料理という無限の旅が始まるぞ! 


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無い、、、、、

 

長く続く階段、、???

 

「天国への階段」???レッドツエッペリンか?

 

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いよいよ火入れのようです。


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出たー!バターON!!!!!


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この裏返しがポイントね、、シュンちゃん。 


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ここで蓋を乗せるのか


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ジャーン!


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ここでハニー登場! 


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寂しがり屋の君に届け、、俺のハニーフレンチトースト


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いかがでした、、この映像がなんともシュールな音楽に乗って登場して来るんです。

 

さてさて、「MUGEN NO en」劇場のスタートです。

 

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ハイボールの友、ソーダストリーム。「親の仇押し 6回攻撃の極意」がベストだ!

以前のブログで紹介したソーダストリームについて、今回は使った感想など紹介させてもらいますね。

 

と言いながら、あれから一年弱経ってしまいました、、

 

紹介するって、、、一年も、、

 

でも一年経ったという事は、それだけ使い込んでいるってことになりますね、、

ハイ!ここは開き直って「トミー家の炭酸水のある暮らし…」なんて気取ってレポートしてみましょう!

 

出ました還暦ハーフ、開き直り親爺、、笑い

 

前の記事をまだチェックしていない方は

 

enjoy-ongaku-tabi.tommysomekawa.com

 

いつの頃だろうか?炭酸水が好きになったのは?

 

さっき、一年の経験をレポートするって言っておきながら「いつの頃だろうか?炭酸水が好きになったのは…」なんて、とんでもない話からスタートしてしまう…

 

何とも支離滅裂なおっさんです。

 

【突然ですが日本昔ばなし風に】

昔、昔、あるところにトミー爺というハイボールは好きの爺さんがおったとな、、その爺さんハイボールは好きだけど炭酸水は苦手というちょっと変わった爺さんだったとな。

 

ただの飲まず嫌いですよね、、、笑い。

 

ペリエ」でしたっけ?かなり前から売られていた、フランスの水?炭酸入りのミネラルウォーター。

 

知っていたけど、、飲んだことがなかった。

 

先日、カミさんと一緒に買い物していた時、カミさんが「これ呑んでみようかな?」と炭酸水を買った。

 

テレビで特集してたみたいで、カミさんも炭酸水は初チャレンジだったらしい。

 

「エー、炭酸水ってどうなのよ、、、」と思っていました。

 

期待いっぱいに、飲んだカミさん、

 

「私はこれ無理だわ…」とカミさん

 

「やっぱ、、炭酸ってね、、、」と、どや顔で言った覚えがある

 

ところが、、どっこい、、、

 

シュワーっと「あっさり、、あののど越しが…たまらない…」

 

 ってなってしまったんです。

 

キッカケは何だったんだか?

 

そうそう、昨年、カミさんと車で関東八十八箇所巡り、御朱印旅をしている時。

 

ちょっと便秘気味で、、笑い。

道の駅で休憩中、閃いたんです。

 

炭酸って「腸にジュワジュワーって来て、腸内活性になるかも…」なんて、全く意味不明な閃きが降りてきて、そして売店でレモン味の炭酸水を購入。

 

結果は、、便秘解消ってわけにはいかなかったけど、シュワシュワ〜と腸の中が、、なった気がしたんです。

 

「あれっ?炭酸って美味しいかも…」と反対派が賛成派に寝返ったんです。

 一度開眼してしまったら止まりません…

 

それからちょくちょく炭酸水を購入することになり

 

はい、とうとうソーダストリームを買ってしまったんです。

 

それも2万円弱、、大枚支払って…笑い。

 

 

本当に単純親爺ですよね…

 

しかし、ソーダストリームのおかげでご機嫌な炭酸、ハイボール生活を送っています。

 

設置、セッティングは意外と簡単、、、トミー爺でも出来た… 

 

まずは、我が家に来たソーダストリームくんの準備からスタート。

 

まずはガスシリンダーのセッティング。

超簡単でしたよ、、、

 

まず最初に上部の金属部分についていたカバーと白い蓋を取る

 

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左の写真が購入時、青いラベルをはがすと下のようなキャップが現れる、

 

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キャップを回しながら取ると、そうするとネジ切りされている所が出現。

 

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次に本体の後ろにあるカバーを開け、シリンダー本体の下部を本体に差し込み、そしてネジの部分を上部に回しながら固定させる作業開始。

 

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こんな感じで超簡単です。

 

そして本体カバーをもとに戻して、、これでOK。

 

以外と簡単、親爺でも出来た!

 

水はギンギンに冷やしておくのが美味しい炭酸を作る秘訣

 

さて、いざ炭酸作りに挑戦。

 

下の写真、500mlのボトルの黒でラインが入っているのが見えますか?

 

どうやら水を入れる上限がここまで…と言う事らしい

 

水は冷蔵庫でギンギンに冷やしておいた方が美味しい炭酸が作れます。

 

トミー爺は朝か?昼までに常温の水をボトルに入れて冷蔵庫で冷やして使います。

 

ボトルですが、左にあるボトルが1Lのボトル、購入時には1Lと500mlの専用ボトルが付いているパッケージでした。

 

 

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結構、飲む人は1Lボトルを使うと便利、ハイボール4~5杯くらいは作れます。

 

最初は試行錯誤の連続、、ポイントは親の仇押し、6回 

 

さて炭酸の作り方ですが、ギンギンに冷えた水を入れたボトルをマシーンにセット。

 

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この上にある黒いボタンを1~2秒くらい押すとボトルの中に炭酸ガス?が注入されて炭酸水が出来上がるって仕組。

 

最初の頃は、使い方が分からなく上品に3回くらい押してみた…

 

そうすると弱炭酸な感じ、、、

 

そこから炭酸水作りの修行が始まり、、試行錯誤の日々がスタート。

 

試したのは

 

■3秒押し x 3回

これはまずまずの強炭酸を作ることが出来る、、ただガスが無くなるのが早い気がする

 

■5秒押し x 3回

あんまり上と変わりがない…かも…

 

その他…色々と試してみたけど、発見したのは

 

「親の仇押し 6回攻撃の極意」

 

ボタンを押す回数だけではなく、押す力も関係してくる事に気が付いたんです

 

1 まずは下っ腹に力を入れて

2 押す指先に全神経を集中

3 黒いボタを親の仇だと思い、思いっきり押す

4 時間は1秒くらいを6回繰り返す

 

そうするとボトルを本体から抜くと「シュワーっと泡が弾ける」

 

 

 

良かったらぜひ試してみて下さい