旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

人生は旅!音楽も旅!音楽一筋40年トミー爺の旅日記。"音楽" "グルメ" "ラーメン" "旅行" "ダイエット"などを独断と偏見の哀愁目線でお伝えするブログです。

Song Bank誕生の秘話 その1

お疲れ様です

お元気ですか?

何となく自分の特技「分かりやすい話し方…?」に気がついたトミー青年、ここから現在も続けさせてもらっている「作家育成システムSongBank」の誕生秘話、、秘話といってもそんなに仰々しいものでもないのですが、、良かったらチェックよろしくです。

 

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この記事の内容は

アマ、プロ区別なく曲が良ければ採用されるんだ

前回の記事内容で、ディレクターにアマチュアの曲を聴いてもらって高評価だった経験の話をしましたね。

プロアマ問わず良い曲、厳選された曲があれば勝負できる事にヒントを得たトミー青年、だったら若い作曲家を育ててその曲を売り込む事が出来たら良いのにな…と考え始めたんです。

ただ、その当時の音楽業界って作家さんの身元、どこの誰?というのも重要なポイントになっていて「〇〇事務所の✕✕さん」みたいな肩書も必要だったんです。理由としてはその曲をリリースした時に問題が発生したら大変ですよね、、そういう意味で作家事務所と契約している作家しか仕事できなかった時代でした。

という事で「プロアマ問わず…」という事ですが、ロックオンの肩書、ブランド力があって初めてディレクター氏の触手を動かす事が出来たのも事実で、、だったらそのブランド力を活かし、作家さんと契約するのではなく、作品と契約するエージェント見たいなシステムって作れないか?

そう考えて生まれたのが「Song Bank」なんです。

なんでプロフィール出さなきゃいけないんだ!

半年くらいシステム構築で奮闘してついに1998年にメンバー募集の広告をギターマガジンとかキーボードマガジンに広告を打つことに…

当時はネットはまだ普及していなくて、なにせ1995年にWindows95がリリースされ、その新しいバージョンWindows98が出たころ、、まだ電話回線を使ってピーピーガーガーいいながら、そうそうネットを使っている時は電話が使えなかったんですよ、、そんな時代でした。

反響は結構あって当時100人くらいの有志が集まってくれてSong Bank、作曲チームがスタート、、作詞チームはもっと後に生れる事に…

その当時メンバーさんとのやり取りは電話か郵便が主流。まだ携帯電話は普及途中なので今考えると何をやるにも大変な時代でした。

そしてなかなか理解してもらえなかった事が「アマチュアの曲をプレゼンする時にロックオン、染川のところが身元保証?をしなきゃいけないという事」でした。

「何で会員になるのにプロフィールを出さないといけないんだ…」


という方も多く、多分、曲のコンテストならそれでOKだけど、曲を商業ベースに乗せる…というイメージが浸透しなかったのかもね、、

トミーさんこの作家さんってどんな人?

Song Bankは新人作家さんを育成してプロデビューなどの作家活動を支援する目的で、その曲をプレゼンする時は「ロックオン関係の作家さん」という肩書でプレゼンする必要があったんです。


だからディレクターさんから「トミーさんこの作家さんってどんな人?」と質問された時に「何処の誰だか?よくわからないけど曲が良かったので…」とは言えない…

そこで最低でも「出身地、居住地、年齢、どんな経歴か?」くらいは答えられないと相手に対して失礼ですよね、、

なぜならディレクターはレコード会社や歌手、事務所さんから「この作家さんってどんな人?」と質問されたら「ロックオン、トミーさんの所の新人作家さんで〇〇の経歴を持った人」と答える必要があったので最低限のプロフィールが必要だったんです。

トミーってソング、、何とかってやっているよね

そうそう、現在はネットが普及して全国どこに住んでいても作家活動できるようになっているけど、Song Bankを始めた時は「プロ作家は東京に…」という風潮が主流で「この作家さんは大阪に住んでいて…」というとみんなびっくりしていた…笑い。

 

今、全国どこに住んでいても作家活動できる、そんなきっかけをSong Bankが作った可能性もあるかもね…そうだったらうれしいし、トミー青年がやってきた事が音楽業界の一つの歯車になれたって事なので光栄だね…笑い。

それとSong Bankを初めて数年した時にある有名作家事務所の社長からこんな話をされた事が…

社長 「トミーってソング、、なんちゃらってやっているよね」

トミー「ああ、Song Bankの事ね、、やってるよ」

社長 「あれって内の会社でもやろうとしたんだけど、手間がかかりすぎて…」

   「だからやめた…よく続けているね、、」

トミー「だって自分の得意分野だから、、続けられるのかも…」

と答えた記憶があります、、知らなかったけど、注目されていたんですね…

作詞チームが誕生、作詞家とのやり取りでの実践勉強が役に立つ

Song Bankが動き出した時は「作曲チーム」だけでスタートしたんです、理由としては曲の事は長年積み上げた経験からアドバイスできるけど、作詞に関しては…ちょっと自信が無かったのが理由、だってアドバイスする事って相手に対して責任あるからね…

ただ、色んな人から作詞チームを作ってほしい…という要望があったんです。

当時、トミー青年は作詞家のマネージメントも担当していて、当時は佐藤ありすさん代表作では「Choo Choo Train」の作詞担当。もう一人は澤地隆さん、彼はチャゲ&飛鳥の作詞を担当していて、その打ち合わせやお二人との会話の中で作詞に関する事を蓄積出来てきた時に作詞チームを作る構想が出てきて…

 

試しに一度作詞のアドバイスをしてみよう…という事でやってみたらこれが評判良くて、どうせやるなら自分流の目線で作詞を考えてみよう…思いついたんです。

自分流の目線ってどんな事?

実はその当時、作詞家とのやり取りはファックスでした。

締め切りの当日朝までに事務所にファックスを送ってもらう…それをコピーしてディレクターに届ける…というスタイルで、その時に良くも悪くもディレクターから色んな意見ももらえるんです、時には辛辣な意見も…

 

それをストレートに作家に伝えるんではなく、ある程度話をまとめて伝えるんですがそれも電話で、、、

トミー「〇〇さん、歌詞の直し依頼です」

作詞家「何処ですか?」

トミー「Aの〇行目の✕✕ですが、なんか代案はありませんか?という事だけど」

作詞家「OK、そこは私も悩んだところなので〇〇と✕✕ならOKと伝えてください」

トミー「あと、ここを〇〇にできないか?という事ですがどう?」

作詞家「うーん、そこを変えると全部変更しなければいけないので…

   「ちょっと考えさせて、、」

みたいなやり取りをして、その答えをディレクターに伝える。

この時に電話口で作詞家が答える時、作品作りに使ったアンチョコ?を見ながら答えているのが分かり、多分そこに代替え案がいくつも書かれていたのかも…

こんなやり取りの中で自分自身、経験を積ませてもらった…そんな中からトミー流の解釈が出来てきてそれをもとにアドバイスしていくことで、、これが結構分かりやすいとの評価で、Song Bankから何人もの作詞家を世に送り出す事になったんです。

 

こんな感じに産声を上げたSong Bank…次回は大変だったコラボと勉強会の誕生秘話などを…こうご期待!

今日のお薦めの一曲

ロミオの青い空」この曲はTVの名作アニメシリーズの主題歌になった曲で作詞を佐藤ありすさんが担当、打ち合わせに行くときや帰りの車でありすさんとの話、結構鮮烈に覚えています

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今日のお薦めのアルバム

 

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ヘッドフォンのエイジングって本当に効果があるの?、、の巻

ヘッドフォンのエイジングって知っていました?実は車で言うと「慣らし運転」というやつですけど、ヘッドフォンをエイジングすると音が変わる…

ホントかな?今日はそんな話を…

 

この記事の内容は

ヘッドフォンのエイジングって本当に効果があるの?

諸説入り乱れている状況みたいだけどトミー爺は信じています。

そして必要だと思っています。


大抵のヘッドフォンって購入した時の音って硬い…

音に霧がかかっている感じがして、それをエイジングする事で音の粒立ちがはっきりしてくるんですよ、、音響機器、機械だから変わらない…逆に使うほどに劣化していくと思っている人が多いかも…新品の時が一番良い状態だと…でも、、多分違っていると思います。

例えば、このヘッドフォン「TAGO STUDIO T3-01」

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エイジングって具体的にいうとヘッドホン、イヤホンの音が鳴る部分や、スピーカーなどのコーン紙を音を鳴らし振動させる事で、その可動部分を「ほぐして動きやすくする」という感じ、、


例えば、「エージング」を行う事で、買った時にくらべて「硬かった音がより硬さが取れて良い音になった」「より繊細な音が出るようになった」みたいなイメージで考えるとわかりやすいのでは…

BOSE QC3通勤で使用中に音が変わった実感が

以前の経験で話すと、BOSEのQC3を毎日通勤で使っていたときに、ある日突然、音に艶が出てきたリ、音の粒立ちが良くなってきたリ、音が近くなったり感じる経験をしたんですよ、、、。

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毎日、往復2時間くらいの通勤時間で2週間くらい使った後、、、

突然、「アレッ 音が変わった…」という瞬間が…

 

今使っているのは「QuietControl 30」というワイヤレスのイヤホンですが、これも使っているうちに音の粒たちが良くなった、より近く音を感じる事が出来るようになった

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やっぱ変わるんですよ

200時間くらいエイジングをすると音が澄み切ってきます

それと今、仕事では下の「TAGO STUDIO T3-01」(先ほどの写真のやつ)を使っているけど、購入した時に「200時間くらいエイジングをすると音が澄み切ってきます」とトリセツに書かれていて、さすがに200時間は無理だったけどその半分100時間くらいはやりました。

 

どうやったかというとiphoneのアプリで「エイジング」というのがあって、それを使ってホワイトノイズを寝る時数時間に流しっぱなしで1週間くらいやったかな…


ガー、、、ザー、、って感じに

FMラジオの局合わせをしている時に、たまにザーって音がするでしょ、、あの感じ、

 

このアプリはエイジング時間をあらかじめ設定できる仕組みになっているので便利、ただ夜から朝までホワイトノイズでエイジングしていると、さすがにiphone側のバッテリーは一桁になっているので充電しながらがお勧めですよ。

 

その結果、低音のモヤモヤしている音がくっきりと…

その結果、低音の音がボヤーンとしていた音がくっきりして来た、その影響で全部の音域がクリアに聞こえて来るようになった気がする。


やはりトミー爺としてはエイジングした方が良い音になると思うのですが、、中には「気のせい…」という人もいるので、、


まあ、信じる者が勝つ!

 

皆さんも一度やってみては…

 

そして次に狙っている奴は下のヘッドフォン

トミー爺のお薦めの自然音

ヘッドフォンで癒されたいときはこのアルバムが最高!ダミーヘッドマイクで録音した3D自然音と絶妙な音楽がコラボした音楽たちこのサイトのCDは良い!トミー爺も仕事帰りにいつも聞いています。

orangetreeproductions.com

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トミーさんのアドバイスってすごく分かりやすい

お疲れ様です。

さて、幸運にも尾崎豊さんのツアーの最初から関わりを持たせてもらった話、読んでくれました?やはりすごかったですよ、、本当に彼は…

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ステージであんなにハイテンションに見えるけど、実はものすごく計算してパフォーマンスしている様に見えた、、ある意味本当の天才かもしれませんね。


この記事の内容は

負け続け、自分に自信が持てない…どうやったら?

どうやら自分って外見や雰囲気は相当どっしりと構えていて、どんな事にも動じないように見えていたみたい…実はそうではないのに…

多分、バリバリとレコーディングプロジェクトを仕切っているし、有名なプロデューサーを担当している、外から見たらB1マネージャーのように映っていたからかもしれないね…でも本当は毎日テンパッテ、、バクバクいっていたのが実情、、笑い。

 

何せ幼少のころから人前で話す事や人前に出る事が超苦手の「引っ込み思案系」で、家で絵ばかり描いていた少年だった。

ただ音楽は何となく好きでアパートの共有廊下でハーモニカを吹いていたな…今考えると近所迷惑なガキだったかも、、良く苦情が来なかったな…笑い。


ロックオンで働いていてもそのビビり癖は変わっていなくて、飲み会で自己紹介するでしょ、、あれが本当に苦手で自分の番が来るまで心の中で一生懸命リハーサルをしている…あと会議なんか大嫌いだった、、だって何か発言求められてもしどろもどろなんだから…

ある電話が変わるきっかけを作ってくれた

そんな事を言いながらもバリバリ仕事をこなしていたトミー青年だったけど、仕事以外の電話も多かったんです。


「トミーさん、〇〇くんの連絡先って知りませんか?」みたいな…わざわざ会社に電話来るんですよ、、結構多かった…あの当時「何か困ったらロックオンに電話してみる…」みたいな風潮があり、どうやら、ロックオンの人は何でも知っている様に見えていたのかも?

 

その流れである日、一本の電話が、、、かけてきたのは都内にある専門学校のスタッフ。

「トミーさん〇月〇日って空いている?」また飲み会のお誘いかと思ったので…

「空いてますよ」と答えてしまった。

そうしたら飛んでもない事に、、、「よかったその日、うちの学校の卒業式の来賓の挨拶お願いしますね、、よろしく」

 

おい!先に行ってよ…って感じですよね。

 

人前で話す事が大の苦手な男に来賓あいさつなんてできるわけないでしょ、、でも空いているって言ってしまったら断れない…

 

その経験からこちらから相手に何か頼む時、必ず要件からいうようにしていますよ、相手が断りやすいように…

例えば、前の件を例にすると「トミーさん、卒業式の来賓あいさつ頼めないですか?」

そういわれたら内心「出来るわけないでしょ…やだな…」と思っているけど、むげには断れない…そこに…「〇月〇日なんだけど…」こうやって日にちを後に言うと

「あー、ごめん、その日仕事が入っていて、、ゴメンね、また声かけて…」と心にもない事を言いながらも断れるでしょ…

相手に逃げ場を用意してあげる…これってトミー家の子育てや交渉事に大いに役に立ちましたよ、、このことはいつか書かせてもらいますね。

 

準備は万全だったけど案の定「しどろもどろのスピーチ」

本番の日、ステージに上がっている時は別に何ともなかったんですが、いざ式台の前にスタンバイしたとたん何百個の目線を感じて、そのとたん、しどろもどろ病が発症、、結果は何とかまとめたけど、、ダメだな…燦燦たる結果で落ち込んだものです、、

でも不思議ですよ、、その経験がなんか吹っ切らせてくれたのかな?
今でもあの時のシーンがよみがえってきます、、

その後、ある専門学校のクリエータークラス生徒の前で公演したり、イベントの審査員をやらしてもらったり、、徐々に人前で話す事にも慣れてきた時期に色んな人から「トミーさん曲を聴いてください」と要望が多くなってきたんです。

 

トミーさんの話、アドバイスってすごく分かりやすい

そのころの作家業界って相変わらず作詞の発注は決め打ちの発注が主流、作曲はコンペが主流になりかけの時代でした、、ただコンペと言っても今のような大規模ではなく作曲家3~5人くらいに曲を発注してその中から選ぶ…そんな感じのコンペ。

 

ディレクター氏はシングルは大御所に、アルバム曲は新しい作曲家を使いたい…みたいに考えている人が多く、そこにトミー爺たちが食い込んで行ったのですが、次第に「トミーさん、なんかストックあったら聞かせて…」見たいなお願いも受けるようになり、契約しているメンバーのストックを聞かせて、気に入った曲があれば「この曲預かっていい?」と言われてキープしてもらっていたんです。

 

そんな時期、トミーの所に集まってくる作家の卵たちの曲、もちろんトミーが良いと思っている曲を聴かせることもあり、それを気に入ってくれることもあったんですよ。

 

この経験が後にある事を始める源流になったのですが、それは近いうちに紹介する事にして、話を戻すと

 

自分では当たり前と思う事も相手には目からウロコってことも

それまで人前で話す事や何かを教える事って、まったくダメだと思っていた事が、意外と評判が良い…と言う事に気がつき少しづつ自信がついてきたトミー爺、

 

「なんだこんな事で喜んでもらえるんだ…」という自画自賛から

 

「実はこれって俺の特技?他の人にない技術なのかも?」

って思うようになってきたんです、、それも音楽的な知識というよりも作家マネージメントで培った経験からのアドバイスが人の心に届いているんだ、、、多分自分では当たり前の事を言っているので周りから指摘されないと一生気がつかなかった事かも…

 

それも絵が上手にかけるとか、歌が上手いとかでなく「アドバイスが分かりやすい」って、目に見えない事ですよね。

 

なんか少しづつ自分の価値に気がつき始めたトミー青年、そこである事を考え付いたんですよ、、今のトミー爺の礎になるような事をね、、

 

この続きは後日…

 

今日のお薦めのアルバム

このアルバムはトミー爺が初めてLAセッションを経験したアルバム。とっても良い出来なので良かったら聞いてみて…ただし廃盤になっているので中古CDしかないのが残念

お薦めの一曲

クラブトランプスに収録されている「アルゴ」景色が見えるような至極バラードです。

マリブビーチにある海辺のスタジオでみんなでビール飲みながらこの曲のプレイバックを聴いたんだよな

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

ロックオン奮闘記2-尾崎豊Birthツアーで再発見出来たもの-

トミー青年の突っ張り奮闘記?読んでくれました。

まだ読んでいない人はぜひチェックしてみて…

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さて今回はものすごいツアーを経験させてもらったことを自分の記録としても書かせてもらおうと思います。

彼の訃報を聞いて四半世紀が過ぎた現在でもトミー爺の記憶には鮮明に映像が流れてくる、、そろそろ自分の気持ちと体験を書き残しておきたくなったので紹介させてもらいますね。

 

この記事の内容は

 

それは西本くんの「トミー相談があるんだけど…」から始まった

トミー青年が西本くんが仕事をしている都内のスタジオに行った時、西本くんから

「トミー相談があるんだけど…」と、、この一言からあの伝説のツアーが始まったのかもしれない…


その内容は

「実は尾崎くんから電話が来て、全国ツアーをするんだけど手伝ってほしい…と言われた、、、どうしたら良いと思う?」

 

尾崎くんというのは尾崎豊さんの事で、その彼が全国ツアーを計画していて、そのバンドマスター(バンマス)として西本くんに手伝ってほしい…ということらしい…


ただ、西本くんはプロデューサーとして活動する為に、佐野さん(佐野元春さん)のバンドを休んでいる時に尾崎さんからのオファー、、ここは難しい選択だよね…

 

トミー 「そうか、、アキラは(西本くんの事)どうしたいの?」

西本くん「いい時期だし、やっても良いかな…と思っている」

トミー 「俺もそう思う、、だったらそうしようよ…」

 

確かこんな会話をした記憶が…

 

当時、尾崎さんは2枚組のアルバム「Birth」をリリースして、そのアルバムを引っ提げて全国ツアーを計画していた。

 

「Birth」ツアーの準備が始まる…まずは尾崎さんと名刺交換?

尾崎さんのマネージメントにトミーから連絡をして、早速、会社のスタッフさんと打ち合わせが始る、、、そしてあの伝説のツアー「Birthツアー」が動き出した。

 

まずは顔合わせという事で都内にある尾崎さんの事務所に西本くん、トミー、ソニーのプロデューサー須藤さん、尾崎さんの会社の副社長、そして尾崎さん本人が集合。

 

早速、尾崎さんと名刺交換することに

「初めまして西本くんのマネージメントの染川です」

「尾崎です、、トミーさんっていうんですね、笑い」


あの尾崎さんと普通に名刺交換するって笑えるでしょう…この時に交換した名刺はいまも大事に保管してあるけどね…

 

バンドメンバーを決めないと…結構すごいメンバーが集まった

尾崎さんは今回のツアー、こんな感じにしたい…と構想を熱く語ってくれた、、そしてみんなでバンドメンバー選択の話に…

 

尾崎さんからトミーと西本くんに「Birth」のCDが手渡され、そのCDを聴いてから具体的にバンド編成の確認とメンバー選びがスタートする事に、、、

 

尾崎さんの事務所を出て、西本くんと別れた帰り道、もらったCDを車の中で聴いてみた。

「えーカッコよい…!」


飽きれるでしょ、、実はトミー、尾崎さんの名前は知っているけど音楽は聴いたことが無かったんです、、それが初めて聞いた音がカッコよくて、、あとで西本くんに電話して「アキラ、尾崎くんっていいね、かっこいい!」って寝ぼけた事を言っていた、、我ながら何なんだお前は!って感じ、、笑い。

もっと間抜けなことを言うと、ある日FMから尾崎さんの「卒業」が流れてきて、このアレンジ誰だろう、、まさかアキラじゃないよな…すみません西本くんのアレンジでした。後でアキラに言ったら殴られそうになった、、笑い。

ちなみに西本くんは尾崎さんのCD3枚の殆どのアレンジをやっている人だった、、もちろん「I Love You」のアレンジもピアノも西本くん、、すごいよね!フー知らないって恐ろしい、、今だから言えることだけどね、、、笑い。

 

そして集まったBirthツアーバンドの面々が下記

THE BIRTH TOUR BAND

尾崎豊 - ボーカル、ギター、ピアノ
・西本明 - キーボード、バンマス
・長田進 - ギター
・鈴川真樹 - ギター
・渡辺茂 - ベース
・滝本季延 - ドラムス
・里村美和 - パーカッション
・関誠一郎 - サクソフォーン、キーボード
・岩本章江 - コーラス
・山根栄子 - コーラス

 

リハ初日はあの曲からスタート、トミー衝撃を受けるの巻き

そして3月くらいだったかな…都内某スタジオに全員集合、リハーサルがスタートした。

 

本当に尾崎さんの曲は殆ど聞いたことが無いトミー青年、彼のファンの人に言ったら羨ましがられるかも知れないけどリハーサルで生演奏を聴きながら尾崎ワールドに引きづりこまれた感じ、、、笑い。

 

今でも覚えています、、あのリハ初日の事。

舞台監督が「尾崎さんどの曲から行きますか?」という問いに尾崎さんは

「セブンティーンマップにしましょう」と言った、、

トミーは「セブンティーンマップ???」なんせ聞いたことが無いんだからしょうがない…

 

そして始まったとたん、唖然とした、、そこには本番と同じパフォーマンスする尾崎さんがいて、めっちゃカッコよかった!

 

この調子で「卒業」「シェリー」「I Love You」「太陽の破片」などあの名曲たちをリハーサルで聞いて好きになっていった、、

 

ツアー初日横浜アリーナ、一曲目「Fire」を聴いたとたんにぶっ飛んだ

そして初日の横浜アリーナ公演がスタート。

会場が暗転になり、SEがなり始める、、会場からはなんとも言えないお客さんのうめき声のようなものが聞こえてくる、、そしてFireのイントロシーケンスが始まり、尾崎さんが登場「Fire」タイトルコールで演奏が始まった。本当に鳥肌もの、全身の血が湧き上がる感じの衝撃を受けた。

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これは最終公演の代々木体育館の映像(kotikamedesuさんのYoutube映像をから)

日本のバンドでここまでエンターテインメントしているバンドって過去にも未来にも唯一のバンドだと勝手に思っている、、本当にすごい!

6万個の目線を一身に受けて跳ね返せるこのパワーって

実はこのライブってハプニング続きですごかったんですよ、それも尾崎さん本人が巻き起こすハプニングだから面白い。

 

我々スタッフは全体の流れを把握しているので、この曲の後はこれで…ああなって、、と分かっていながらライブを見ているのだけど、突然

「あッ!マイク投げた、、昇った、、」

「フリーズムーン」だったかな???尾崎さん一番を歌い終わったらマイクを舞台袖に向かって投げたんです。

 

それを見ていたローディが辛うじてキャッチ、そしたら尾崎さんがタワーを昇り始め、そのマイクを持って舞台監督が二人、尾崎さんを追いかけて昇っていく、多分それを見ていた尾崎さんは当然マイクをもって来ていると信じているから、ちょっと昇るスピードを緩め、そして頂上に着いたらマイクを持った舞台監督が本人にマイクを渡す。

その間バンドは様子を見ながら間奏部分を繰り返し演奏続けていて、それを見た尾崎さんはタワーの上で演奏をストップするように合図、そうしたらバンドは演奏をストップ。

 

そして語り始める、、それに合わせて西本くんが即興でピアノで答える。

バンドメンバーはタワー上の尾崎さんの一挙一動を真剣に見つけているのが分かる…

 

そして手で来い!って合図するとまた演奏をスタートする。こんなやばいコンサートは生まれて初めて体感させてもらった。

 

それと「Birth」という曲だったかな、地方公演でいきなり尾崎さんがギター弾き語りで演奏始めた、、

実はこの曲は最初ドラムのカウントでバンド演奏で始まる曲、でも本人が歌いだしたのでバンドメンバーはそれに合わせるしかない…めいめいが途中から合流始める、、これもすごいでしょ、、

もっとすごいのは尾崎さんはきっとこのバンドだったら着いてきてくれる…と見越していたんだと思う、一番を歌い終わって、ちょっとだけ間を作り、そして「1234」のカウントを突然叫ぶ、そしたらバンドがイントロから演奏始めた、、

これって打ち合わせなしでいきなり、、鳥肌物ですよね、、この曲は後にカラオケにギターイントロバージョンとして入っていると聞いたとき大笑いしたことを覚えている。

 

あと太陽の破片という曲の最後でボーカルだけになる所があり、そして囁くように歌うところがあって、そこは尾崎さん一人に6万個の目が尾崎さん一人の息使いに注がれる、そんな重圧を一人で背負え押し返すパワーってすごいですよね。

 

本当に底知れぬエネルギーをもらえたツアーだった。

そしてトミー青年のその後の音楽人生にも大きな影響を与えてくれたツアーだった。

 

それから尾崎さんとは最後のアルバム制作でも西本くんが半分担当になったのでお付き合いさせてもらった…

 

物凄いパフォーマーですよ尾崎さんは。

 

 

 

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

社長の片腕、トミーのロックオン奮闘記、その1

トミーのジェットコースター人生、ロックオンに入社したはいいけど全くの素人がどうやって信頼を勝ち取っていったか?

 

そんな話をしてみたいと思います。

 

この記事の内容は

突っ張ることがトミーの、、♪たった一つの勲章♪

とにかく経験が少ない素人がいきなりトップクラスの人と仕事をするには、どうしたら良いのか?

 

「見栄張って突っ張るしかないっしょ、、」笑い

まずは身内からの信頼を勝ち取らないとまずかったので、最初にしたことはスタジオの電話番号を全部覚えました…

当時は携帯電話なんて世の中に存在していなかった時代で、電話は会社の電話か?又は公衆電話でかけるしかなかったし、とにかくスタジオに電話することが多かった。

自分で早引きできる電話帳を作っておいて、OTさん(社長)が「音響1stって、、」言ったとたんに「〇〇ー〇〇〇〇…」みたいに教える、当時毎日車移動だったのでスタジオへの道順、都内の道路は頭の中に叩き込んだ。それを続けていくことで段々「トミーやるな…」と思われるようになっていった、、はずmm、、多分、、笑い。

こうやって地味だけど必死に自己アピールを続けて行くことに、、

 

小心者だけどスタジオでは主のような雰囲気をかもし出す

トミーは実は極度の小心者、ビビり。

そんな奴がトップミュージシャンがいるスタジオで仕事をする為には突っ張るしかないでしょう…

ただ、肝っ玉とは反対にトミーの雰囲気はどうやら貫禄があるように見えるらしい…だから実際はビビりながらもどっしりと構えていられた…笑い。

それも強みの一つかな?

 

よくあるでしょ、、借りてきた猫って感じの時、、それを持ち前の派手な顔と少し貫禄ついてきた体系でカバーしたって感じでしょうか?

負け続けていた20代の知識が今になって役立つ時が来た…

本当に神様は未来の為に色々と経験を積ませてくれていたんだな…以前も書いた通り、本当に20代は何をやっても上手くいかず、中途半端だったトミー爺だけど、ここで逆反り大逆転、、ついに来ました!!

それはヤマハ時代に覚えたスタジオの知識、舞台の知識がここで役に立ったんです。

当時スタジオってリズムがRECできる大きさ、ダビング用のスタジオ、フルオケが録れるスタジオ、、と色んな大きさがあったり、もっとめんどくさいのがマルチテープレコーダー(略してテレコ)。

当時ソニーの3324と言われるデジタルの24トラックあるテレコが主流だったけど、もう一つ三菱の32chのテレコも使われていた。

だからレコーディングするときはソニーか三菱のテレコを選ぶ必要があり、ソニーでリズムRECしたプロジェクトは三菱のテレコでは仕事ができない…そこを把握して調整する必要があった。

あとレコーディングの流れもヤマハ時代に経験しているので全く物おじせずに中心になって動く事が出来た、役に立つもんですね、、

またある時、確か氷室さんのツアーの時だったかな?当時西平くんがツアーに参加するという事で、ここでも若いころの舞台の知識が役に立つ…ある日、氷室さんのマネージャーさんと舞台監督、PAさんが来て「トミーさん、今度のライブの舞台図ですが、この位置に西平さんの楽器って乗り切りますか?」と図面を見せてくれた、普通だったら訳わからないのが当たり前だけど、新人マネージャーのトミーは図面をみて、、

 

「あー尺上がりなんだ、サイズは6、9ね、、、大丈夫ですよ、ただ動いても大丈夫なように天板と足場の補強よろしく」、、当時西平くんはキーボードを弾きながら派手に動いていたので…

またPAさんとの打ち合わせでも

「トミーさん西平さん回りで何回線必要ですか?」

「キーボードミックス使っているのでラインアウト、LRからツーミックスで送りますからそこからとってください」

 

みたいに答えられた、、周りは「何こいつ、、なんでこんなに詳しいの?」と思ったと思う、本当に無駄な経験って無いんだな…とこの時につくづく思いましたよ。

 

同時に5~6個の案件が同時進行、脳みそのコイルが焼き切れそう

先ほど書いた通り西平くん、西本くん、Tsukasaくん、プラス作曲の水島くんや作詞の佐藤ありすさん(chu chu trainの作詞担当の作詞家)さんが加わって大変だった。

西平くんや西本くん、二人とも同時に2~3プロジェクト同時進行しているし、作曲家二人、作詞家一人でしょ、、それがフル稼働しているんだから脳みそがシュート、、でなく「ショートしそう」になる日々だった、笑い。

 

それに当時はリゾートスタジオ、河口湖や山中湖にあるスタジオで長期で泊りがけでレコーディングが流行っていて、、泊まり込みで集中してレコーディングできるからプロジェクトの追い上げ時期に結構利用していた、、だからトミー爺もそんなところにも顔出さないといけない。

 

今だったらオンラインで、、携帯で、、みたいに処理できるのに、あの当時は人が動かないとダメな時代でした。

リゾートスタジオに行く時は、昼から都内のスタジオに行ったりして調整事を片付けて、夕方にリゾートスタジオに向かう…そうすると夕食時にスタジオに入る事ができ、そこで打ち合わせや調整事をして夜にまた都内に戻ってくる…そんな生活が当たり前に繰り返されて行った。

自分の言葉で表現する事で居場所を確保できる事に気がつく

それとスタジオでミュージシャンたちの演奏を聴いている時も頭の中はフル回転。

というのも演奏終了したミュージシャンたちはプレイバックで演奏の確認の為にスタジオに戻ってくる…その時に思いっきり試されるんです。

「トミー、今の演奏どうだった?」ってね…


だから演奏を聴きながら自分の言葉で答えられるように常に触覚を研ぎ澄ませないと、「なんだこいつはダメじゃん、こいつに聞いても無駄だな、、」なんてレッテル貼られてしまうのでここも突っ張った。

「なんか身体が熱くなる演奏だったね、、俺は好きだけど…」


みたいに自分の言葉で返すと、そこはトミーの考え方なので間違いはない、その後の人生いつも自分の言葉、表現をできるように訓練できたのもこの経験があってだと思う。


なにせ相手は超一流の音楽家だから素人トミーが勝てるわけない…だけど真向勝負を挑むのではなく自分の言葉で自分の感想を言ったらそれは間違いではない…そしてミュージシャンからは「こいつ面白い事いうな…」と思われて、それ以降も意見を求められることも増えた気がする。

 

やっぱ自分だけの言葉って力があるんですね

崖っぷちに立った時と相手の立場に立ってみると見えるものがある

そしてもう一つ経験できたのは「崖っぷちに立たされた時の考え方」

色々メンバーやプロジェクトの調整をしていると、どうしても思い通りには行かない時も頻繁にめぐってくる…

「明日レコーディングするスタジオがまだ抑えられていない…」

「クライアントとミュージシャンの間に入って揉め事のど真ん中に…」

「仕事上の人間的なトラブルに巻き込まれる」

 

こんな感じの色んな事が同時進行で襲ってくる、そこをどうやって乗り切るのか、周りみんなの利益を守ってあげると案外うまく行くもんです。

 

例えば、簡単な例を言うと、メンバーのスケジュールがガチガチに入っている時に新規や常連さんから問い合わせが来たりする。

「トミーさん、〇〇さんで5曲アレンジお願いできませんか?」

スケジュールをチェックしても5曲なんて全く無理な状況、何せ全国ツアーなんかを抱えていると一年先までスケジュールが入っている状況、、、

 

こんな時、普通は「スケジュール入っていて難しい…」と断る事が定石。

でも無下には断らなかった。

 

「スケジュールがガチガチなんです、、でも調整してみるので時間もらえますか?」

その後メンバー、関係者にはかなり無理なお願いするけど、前後のスケジュールを少しづつずらしてみる、、もちろん各方面に事情を説明、でも各方面にはデメリットが無いように調整するのはもちろんの事だけど、、当然、今まで組んでいたスタジオやミュージシャン等のスケジュールを動かす事になるので、そこはトミーの方で全部出来るように調整してからお願いすることも忘れなかった。これは当たり前ですよね…

 

そして、問い合わせくれた人に連絡する。

 

「調整してみました、5曲は無理でも1曲だったら可能かもしれません」

こう言うと相手の立場も立つ。

というのも恐らく相手の会社ではこんな状況になっていると予想できるから

 

上司「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当「スケジュールいっぱいで無理みたいです」

上司「なんだ、アレンジャーのスケジュールも取れないのか?交渉したのか?」

担当「、、、」

 

でも実際は

 

上司「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当「スケジュールいっぱいで無理だったのですが、無理やりお願いして一曲だけ

   OK、スケジュールもらいました」

上司「おーそうか、、取れたか、、じゃシングルの表題お願いするか、、」

  「やるじゃないか!お疲れ!!」

担当「ハイ!」

 

ここで相手の状況をちょっとだけ考えてあげるとその先の仕事につながっていく。たぶんこの考え方には色んな意見があると思うけど会社組織の人間というよりフリーランス人間の考え方かもネ、笑い。

 

まだまだ続きます、、次はアーティストさんから沢山パワーをもらった話などを…

こうご期待…

 

今日のお薦めの一曲

今回見出しでも使わせもらった「男の勲章」行ってみますか!やっぱりこのメンバーに登場してもらわないとね!

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

ロックオン入社、最初に紹介されたミュージシャンが超有名なあの人、、

さて若きトミーのドタバタ人生、第四弾です。

人生なかなか上手くいかなく、もがいていたトミー青年にあるディレクターから神のような一言が…「トミーさん、OTくん知っているよね、彼が新しく作家事務所を作るので手伝ってあげてくれない?」そしてトミー青年、何も考えずに「いいですよ」と答えてしまった。

これがその後の人生に大きく舵を切った瞬間、怒涛の人生のスタートでした。

この記事の内容は

トミー青年、株式会社ロックオンカンパニーのスタッフになる

この会社、通称ロックオン、、(ただし、楽器屋さんとは違う作家事務所)に入ったは良いが、そこに所属している人が凄い人たちってことは、その当時全く理解できていなかったトミー青年、、恥ずかしながら…笑い。

【会社の概要】

1988年
創業 レコーディング制作、プロデューサーマネジメントを始める。
同時にロサンジェルスにロックオンアメリカ設立。積極的に海外録音を行う。数多くのメジャーアーティストのレコーディングに参加。

メンバー:大村雅朗清水信之中村哲西平彰、西本明、飯泉俊之
Tsukasa、後、松本晃彦山川恵津子佐藤隆、水島康宏、加入。

1994年
プロダクション業務開始
森俊之 加入 樋口了一 作家加入

1996年
河野圭加入。
1998森俊之とともに宇多田ヒカルのレコーディングに参加

        ー(株)ロックオンカンパニーのサイトより抜粋ー

立ち上げメンバーの凄さが分かったのは会社が出来て少しして、キックオフパーティーをすることに、焼き鳥屋さんの個室を借りて「ガンバロー」ってやったんですが、そこにUSENが流れていて、そこで流れる曲の八割が今ここにいるメンバーの作品だった、、これってすごくないですか?

 

そんな中に駆け出しスタッフとして参加できたわけです。

とはいえその中で一番経験が無かったのもトミー青年だったのは確実、笑い。

 

スタジオ廻りで最初に紹介されたギタリストがあの、、、

右も左もわからないトミー青年、とりあえず社長のOTさんとスタジオ廻りをすることに…そこで色んな人に紹介されたり、色んな会話をするのだけど、最初に紹介されたミュージシャンがギタリストの今剛(こん つよし)さん。あのスタジオミュージシャンのトップクラスの人、レコードのクレジットで何度も見ている人が目の前に…

「コンちゃん、彼、今度一緒にやるトミー、彼は優秀だよ」

「トミー、コンです。よろしくね」

 

確か音響ハウスの1stロビーだった記憶が…その後もクレジットでしか見たことが無いミュージシャンたちと一緒に仕事をすることに、そして後日そんな超一流メンバーの演奏に良いとか好きとか言っている自分がいるって、この時はまだ想像すらできない…


ロックオンはマンションの一室、何も無い一室からスタート

最初に事務所を借りたところが六本木のマンションの一室、まだ机も運び込まれていない状況で、一緒に働くことになったM子ちゃん、彼女はそれまでバリバリのスタジオマネージャーだった、、

何もない床にファックスが入っていた段ボールを机変わりに、電話は床に直置き状態での仕事スタート。

それでどんな仕事をしていたかというと、担当プロデューサーのスケジュール管理とそれに関連する打ち合わせ、その時期に有名アイドルグループのメンバーのソロ活動のレコーディングを請け負っていたのでそのプロダクトマネージメントが主な仕事。

 

それを3人で切り盛りする事になった。

 

参加プロデューサー達ってみんな大一戦で活躍している人たちばかりなので、毎日スタジオワークをしていて、それに関する日程調整やミュージシャン、エンジニア、スタジオブッキングなどを取り仕切る仕事がメイン。

 

そしてスタジオワークって日々状況が変化するので、必ず夜、スタジオに顔出してメンバーと問題ないか?を打ち合わせし、その場で解決できる事は夜中でも動く、あとクライアントと全体流れの確認などする、、当時「ロックオンのスタジオ巡業」と言われていたらしい、、笑い。

当時のレコーディングは13時スタートで大体が深夜25時、26時ころまでやっていたので当然トミー達の帰宅は深夜深い時間が当たり前になっていったんです。

 

若かったからできたのかもしれないですね…

トミー肩書はどうする?好きにして、、じゃ「社長の片腕 トミー染川」で

そうそう、その時の名刺なんだけど社長のOTさんに「トミー、肩書だけど好きにつけて良いよ」と言われて、それまでの名刺が嵐さんの所で「子分」だったので、そこは目立つ事を優先して、、つけたのは

社長の片腕 トミー染川

これは大うけだった、大会社の社長さんからは「トミー、どっちの腕?」なんて名前と顔を覚えてもらうことが早かった。

 

電話でも「社長の片腕、いる?」なんてかかってきたこともあった、、笑い。

 

トミーは西平くん、西本くん、作曲のTsukasaくんの担当に

最初に担当したのは「西平彰くん」「西本明くん」「Tsukasaくん」をメインで、それ以外のメンバーも必要な時にサポートしていくことに…

 

西平くんは、当時売れっ子のプロデューサーでトミーがロックオンに所属した当時名前を知っていたのは彼だけだった、確か当時は平松愛理さん、鈴木祥子さんなどを担当、その後は氷室京介さんのライブ、レコーディングで大活躍の人

 

西本くんはピアニストとして佐野元春ハートランドのメンバーだったけどプロデューサーとして活動する為にバンドをお休み、プロデューサーとしてこれから活動していくスタートの時期。

 

Tsukasaくんは以前から一緒にやっていた流れでロックオンにも加入、のちに鈴里真帆さんのプロデュースで活躍。後日ロックオンは離れてから、ジャニーズの嵐の「時代」の作詞作曲、編曲で大ブレークをした。

プリプロダクションをレコーディングに取り入れたのも革命だった

それと今、当たり前に使われている「プリプロダクション」(通称、プリプロ)を最初にレコーディングに導入したのもロックオンが最初だったと思う。

 

当時のレコーディングってスタジオにミュージシャンを集めてリズム、ベーシックレコーディングをして、その後にギターなどをダビングしていく…というのが主流。


今と違って当時のスタジオ代は最低でも一日40万から50万くらいの費用が掛かっていて、今のようにPCでレコーディングはできなかったのですべてスタジオを使った作業をしなければいけなかった。


トミーが所属していたロックオンってアメリカにもロックオンアメリカという提携会社、現在ネーチャーサウンドリエーターとして活躍しているジョー奥田くんが社長として活動していた。

 

プリプロでメンバーに仕事しやすい環境を作れ

当時の所属メンバーは時間をかけてスタジオワークをしていて、イコール予算との板挟みで我々が必死にクライアントと折衝していて、何とかそれを打開できないか…と考えたのがプリプロダクションの導入。

 

「トミーさん、今回予算があまりなく何とか協力してもらえませんか?」

つまりギャラを安くしてください。という事なのでそれはできないのでこういう提案を

「じゃ、本RECの前にプリプロをさせてください。スタジオ代も安くできるし…」

こんな会話をしながら担当プロデューサーの仕事と環境を守る事に必死…

 

当時のアメリカはプロデューサーやアーティストが自分のスタジオでレコーディングをして必要な時に外部スタジオを使うスタイルが定着して、又は数か月間スタジオをロックアウト貸切って、それで予算を圧縮していた、、その中でプリプロという作業が効果的という事でそれを日本でも導入するように働きかけた時期でした。

 

プリプロはシンセのマニュピレーターとプロデューサーが小さいスタジオでRECする曲のアウトラインを作りこむ、そしてそれをスタジオに持って行ってレコーディングをしていく…一日4~50万かかっていたスタジオ代金が一日10万くらいに圧縮できる…

 

良い方法だと思いませんか?

 

当時、プリプロ?なにそれ?って感じだったけど、徐々に浸透していったのも記憶があるね…

 

まだまだ続きます、、

 

今日のお薦めの一曲

当時、西本くんとジョーと一緒に作り上げた伊豆田洋之くんのアルバム「クラブトランプス」の中の一曲「アルゴ」すごく良い曲、いい風が吹いてくる感じ…

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

2022年の手帳選び、大迷走したあげくほぼ日手帳の「カズン」に決定

さて手帳のシーズンが到来しました。

そうです一年の中で8月、9月って来年の手帳選びで悩みまくる時期なんですよ。

新しく始まる一年へのワクワク感とその相棒になる手帳選びのワクワク感、、

Wワクワク感で手帳フリークにとって、トミー爺にとっても悩ましくも楽しい時期です、笑い。

 

えっ?自分はスマホ派だから手帳なんて買わないよ…なんて声も聞こえますね、、

しかしトミー爺は完全にアナログ手帳派、それも40年以上アナログ手帳を使っている古い親父なんです。

 

そんな手帳選び、迷い迷った手帳選びのグダグダ話を聞いてやって下さいな

 

この記事の内容は

2022年の手帳はほぼ日手帳の「weeks MEGA」に決めてたのに…

今年(2021)は[「ほぼ日手帳」の「weeks」を使っているトミー爺、結構気に入っていて、ただもう少しメモページが欲しいのと色んな事を書きこみたい性分で来年はweeks MEGA(メモページが多い手帳)にしよう!と自分の中では「ほぼ決定」状況だったんです。

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これがweeks とMEGA、チェックしてみてMEGAの方はメモページが倍くらいある。

今年weeksを使ってみて普段使いのデイバックに入れて持ち歩きにはピッタリサイズ、重さもばっちりで自分に合っていて気に入っていたんです。

だから今回、ほぼ日サイトで9月発売に向けてのカウントダウンが始まっても、来年はどんな手帳が出るのかな?


くらいで自分の中ではあんまり盛り上がっていなかったんです、、、ところがですよ、ちょっとしたきっかけで心が乱れ始めたんです。

事の始まりは手帳に色々と書き込んでいるとスケジュール欄がグシャグシャになって来て、「weeks」だとちょっと小さいかな?もう少し整理できれば…と、たったこれだけの、、、小さな気の迷いが台風の目に…

 

weeksはスケジュール欄に書き込みすぎたら見づらくなる…でもA5のカズンだと問題なかったのかな?、、いや重たいでしょ…

なんて自問自答が始まり、さらに何気なく見たカズンの手帳カバー、、

あれ?これも良いかも…あれはどう?いやこっちでしょ、、

 

もう止まりません、、、

よーし、手帳を変えよう!カズン?重たいからavec?でも?

以前、カズンを2年くらい使っていた時期があって、結局重たいって理由で卓上置き手帳と化してその流れで使わなくなった経緯あり、、、それがトラウマで一年を2冊分冊されているavecに気持ちが傾いて行くんです。

カズンというのはA5サイズの手帳で、書くところは十二分にあるけどその分ぶ厚いし重たい、それと内容は同じだけど一年が2冊に分冊されているがavec。

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2冊に分冊されていると便利だと思いません??
そして飽き性のトミー爺としては、一年半ばで新しい2冊目に切り替えられるのもモヂベーションを保つという魅力を感じ始めました。

 

ミナペルホネンという変わった名前のキャンドル、jardinって良い感じ

そのあとに手帳カバーでも悩みまくった。

確かほぼ日サイトで全ラインナップが紹介されたのが8/22だったかな?
気持ち的にはavecの分冊版を買う方向でいたけど、問題がひとつ、メモページが少ないいことに気がつき、、そこでも悩む。

avecってカズンと同じでマンスリー、ウイークリー(バーチカル)、デイリーになっているのでメモする所はあるけど、アイデアを練るための落書き的なページが無い、weeksにはメモページが充実していて重宝したんだけどなぁ、、、

ノートと併用するのがベストかな?
たしかほぼ日手帳カバーって2冊入れ込むことができるし…良いかも…

そう思って手帳カバーをみるとミナぺルホネンのキャンドルとjardin(gray)の二つに目が釘付けに…

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良いと思いません?
この二つは最後まで悩みましたよ…

決戦はロフト!そこで思いもかけない大逆転が、、

ずっと悩み続けて、決まんないのでロフトに行くことにしたんです。

ほぼ日手帳って「ほぼ日サイト」とロフト系列で販売されているんですよ、トミー爺の住んでいるエリアに「二子玉川のロフト」があって、そこでカズン、avecや手帳カバーの現物を見ながら決めることにしたんです。

9/1発売日には仕事の関係でいけなかったので翌日にいざロフトへ。

あったあった、ほぼ日コーナー。

そこで問題発生。

前にちょっと書いたけどavecを使う時に手帳カバーにA5のノートも一緒に入れ込もうと計画していたけど、実際に手に取ってみるとavec+A5ノートとカズン、、、ほぼ同じ重さに感じた…

だったらわざわざ2冊に分けなくてもカズン一冊で良いのは?

そうだそうだ!一気に気持ちがカズンに傾き、思わずカズンを手に取り買い物かごに入れ込んだ、、今まで悩みの日々はなんだったんだ?

それと「5年手帳」という5年間が一冊になっている日記があって、来年から日記をつける事にしていたので購入、これについてはまた書かせてもいますね。

 

という事でカズン、5年手帳、A5のノートを買いましたよ、、

あれ?手帳カバーは?

そうなんです、これについてもまた後日に…笑い。

 

今日のお薦めの一曲

キャロルキングの「You got a friend」このキャロルキングと3人ディーバが歌うこの曲、何回聞いたことか?最高の演奏なのでぜひチェックしてみて

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