お疲れ様です
お元気ですか?
何となく自分の特技「分かりやすい話し方…?」に気がついたトミー青年、ここから現在も続けさせてもらっている「作家育成システムSongBank」の誕生秘話、、秘話といってもそんなに仰々しいものでもないのですが、、良かったらチェックよろしくです。
enjoy-ongaku-tabi.tommysomekawa.com
この記事の内容は
- アマ、プロ区別なく曲が良ければ採用されるんだ
- なんでプロフィール出さなきゃいけないんだ!
- トミーさんこの作家さんってどんな人?
- トミーってソング、、何とかってやっているよね
- 作詞チームが誕生、作詞家とのやり取りでの実践勉強が役に立つ
- 自分流の目線ってどんな事?
- 今日のお薦めの一曲
- 今日のお薦めのアルバム
- 【トミー爺の関連サイト】
アマ、プロ区別なく曲が良ければ採用されるんだ
前回の記事内容で、ディレクターにアマチュアの曲を聴いてもらって高評価だった経験の話をしましたね。
プロアマ問わず良い曲、厳選された曲があれば勝負できる事にヒントを得たトミー青年、だったら若い作曲家を育ててその曲を売り込む事が出来たら良いのにな…と考え始めたんです。
ただ、その当時の音楽業界って作家さんの身元、どこの誰?というのも重要なポイントになっていて「〇〇事務所の✕✕さん」みたいな肩書も必要だったんです。理由としてはその曲をリリースした時に問題が発生したら大変ですよね、、そういう意味で作家事務所と契約している作家しか仕事できなかった時代でした。
という事で「プロアマ問わず…」という事ですが、ロックオンの肩書、ブランド力があって初めてディレクター氏の触手を動かす事が出来たのも事実で、、だったらそのブランド力を活かし、作家さんと契約するのではなく、作品と契約するエージェント見たいなシステムって作れないか?
そう考えて生まれたのが「Song Bank」なんです。
なんでプロフィール出さなきゃいけないんだ!
半年くらいシステム構築で奮闘してついに1998年にメンバー募集の広告をギターマガジンとかキーボードマガジンに広告を打つことに…
当時はネットはまだ普及していなくて、なにせ1995年にWindows95がリリースされ、その新しいバージョンWindows98が出たころ、、まだ電話回線を使ってピーピーガーガーいいながら、そうそうネットを使っている時は電話が使えなかったんですよ、、そんな時代でした。
反響は結構あって当時100人くらいの有志が集まってくれてSong Bank、作曲チームがスタート、、作詞チームはもっと後に生れる事に…
その当時メンバーさんとのやり取りは電話か郵便が主流。まだ携帯電話は普及途中なので今考えると何をやるにも大変な時代でした。
そしてなかなか理解してもらえなかった事が「アマチュアの曲をプレゼンする時にロックオン、染川のところが身元保証?をしなきゃいけないという事」でした。
「何で会員になるのにプロフィールを出さないといけないんだ…」
という方も多く、多分、曲のコンテストならそれでOKだけど、曲を商業ベースに乗せる…というイメージが浸透しなかったのかもね、、
トミーさんこの作家さんってどんな人?
Song Bankは新人作家さんを育成してプロデビューなどの作家活動を支援する目的で、その曲をプレゼンする時は「ロックオン関係の作家さん」という肩書でプレゼンする必要があったんです。
だからディレクターさんから「トミーさんこの作家さんってどんな人?」と質問された時に「何処の誰だか?よくわからないけど曲が良かったので…」とは言えない…
そこで最低でも「出身地、居住地、年齢、どんな経歴か?」くらいは答えられないと相手に対して失礼ですよね、、
なぜならディレクターはレコード会社や歌手、事務所さんから「この作家さんってどんな人?」と質問されたら「ロックオン、トミーさんの所の新人作家さんで〇〇の経歴を持った人」と答える必要があったので最低限のプロフィールが必要だったんです。
トミーってソング、、何とかってやっているよね
そうそう、現在はネットが普及して全国どこに住んでいても作家活動できるようになっているけど、Song Bankを始めた時は「プロ作家は東京に…」という風潮が主流で「この作家さんは大阪に住んでいて…」というとみんなびっくりしていた…笑い。
今、全国どこに住んでいても作家活動できる、そんなきっかけをSong Bankが作った可能性もあるかもね…そうだったらうれしいし、トミー青年がやってきた事が音楽業界の一つの歯車になれたって事なので光栄だね…笑い。
それとSong Bankを初めて数年した時にある有名作家事務所の社長からこんな話をされた事が…
社長 「トミーってソング、、なんちゃらってやっているよね」
トミー「ああ、Song Bankの事ね、、やってるよ」
社長 「あれって内の会社でもやろうとしたんだけど、手間がかかりすぎて…」
「だからやめた…よく続けているね、、」
トミー「だって自分の得意分野だから、、続けられるのかも…」
と答えた記憶があります、、知らなかったけど、注目されていたんですね…
作詞チームが誕生、作詞家とのやり取りでの実践勉強が役に立つ
Song Bankが動き出した時は「作曲チーム」だけでスタートしたんです、理由としては曲の事は長年積み上げた経験からアドバイスできるけど、作詞に関しては…ちょっと自信が無かったのが理由、だってアドバイスする事って相手に対して責任あるからね…
ただ、色んな人から作詞チームを作ってほしい…という要望があったんです。
当時、トミー青年は作詞家のマネージメントも担当していて、当時は佐藤ありすさん代表作では「Choo Choo Train」の作詞担当。もう一人は澤地隆さん、彼はチャゲ&飛鳥の作詞を担当していて、その打ち合わせやお二人との会話の中で作詞に関する事を蓄積出来てきた時に作詞チームを作る構想が出てきて…
試しに一度作詞のアドバイスをしてみよう…という事でやってみたらこれが評判良くて、どうせやるなら自分流の目線で作詞を考えてみよう…思いついたんです。
自分流の目線ってどんな事?
実はその当時、作詞家とのやり取りはファックスでした。
締め切りの当日朝までに事務所にファックスを送ってもらう…それをコピーしてディレクターに届ける…というスタイルで、その時に良くも悪くもディレクターから色んな意見ももらえるんです、時には辛辣な意見も…
それをストレートに作家に伝えるんではなく、ある程度話をまとめて伝えるんですがそれも電話で、、、
トミー「〇〇さん、歌詞の直し依頼です」
作詞家「何処ですか?」
トミー「Aの〇行目の✕✕ですが、なんか代案はありませんか?という事だけど」
作詞家「OK、そこは私も悩んだところなので〇〇と✕✕ならOKと伝えてください」
トミー「あと、ここを〇〇にできないか?という事ですがどう?」
作詞家「うーん、そこを変えると全部変更しなければいけないので…
「ちょっと考えさせて、、」
みたいなやり取りをして、その答えをディレクターに伝える。
この時に電話口で作詞家が答える時、作品作りに使ったアンチョコ?を見ながら答えているのが分かり、多分そこに代替え案がいくつも書かれていたのかも…
こんなやり取りの中で自分自身、経験を積ませてもらった…そんな中からトミー流の解釈が出来てきてそれをもとにアドバイスしていくことで、、これが結構分かりやすいとの評価で、Song Bankから何人もの作詞家を世に送り出す事になったんです。
こんな感じに産声を上げたSong Bank…次回は大変だったコラボと勉強会の誕生秘話などを…こうご期待!
今日のお薦めの一曲
「ロミオの青い空」この曲はTVの名作アニメシリーズの主題歌になった曲で作詞を佐藤ありすさんが担当、打ち合わせに行くときや帰りの車でありすさんとの話、結構鮮烈に覚えています
今日のお薦めのアルバム
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