お疲れ様で~す、自称、呑兵衛のトミー爺です。
というか自薦、他薦、見事に呑兵衛親爺です。笑い。
今日は「トミー爺とお酒」題してどうしてお酒が好きになり、どうして呑兵衛になったか?
について検証してみたいと思います。
はっきり言って、皆さんにとってはどうでも良い事かもしれませんが
- 人の振り見て我が振りなおせ
- あんな大人になってはいけない
- お酒好きのどこが悪い
多々ご意見があると思いますが、それぞれの立場で、トミー爺と一緒に考えてみませんか?
トミー爺はお酒好き
トミー爺は、、はっきり言ってお酒は大好きです。
そんなの皆さん知っていますよね、、
enjoy-ongaku-tabi.tommysomekawa.com
実は30代の時、編曲家のマネージメントをしていた都合、仕事がすごく不規則だったのですよ。
例えば、担当の編曲家が任されているアーティストがいたとしますね。
レコーディングの進行状況で随時スケジュールの修正をする事になる。
編曲家は昼くらいからずっとスタジオに籠ってレコーディングをしているので、彼を交えてのミーティングをするタイミングは
- スタジオが始まる前
- 夕飯の時
- スタジオ作業が終了するタイミング
この3ポイントしかない…
そこをめがけて打ち合わせを組んでいくのですが、トミー爺、当時マックス4人くらいの担当だったために、打ち合わせタイミングを上手く調整できない時があり
そういう時は「今日の打ち合わせは27時で…」みたいな感じになるのがしょっちゅう。
そして打ち合わせが終了して、スタジオを出るのが28時以降、我が家に着くのが明け方、ひどいときには朝7時とか…なってしまう事も良くありましたよ。
その時に「オン、オフ」の切り替えに使ったのがお酒。
どんなに遅く?早く???帰っても、必ずビールを飲んで仮眠をとり、11時には間に合うように会社に行って事務仕事、、そして夜はスタジオ行脚。
当時の仕事スタートは11時から無限…そんな働きかたでした、笑い
若かったから出来たと思いますよ、、本当に…笑い
その時の習慣があるのか?
今でもオン、オフの切り替えはお酒ですよ
皆さんは「オン、オフの切り替え」どんな風にしていますか?
実はトミー爺は酒飲みが嫌いだった
実はトミー爺の父上、トミーズパパも呑兵衛だったのです。
それも酔っぱらうとすぐ弱気になってしまう…つまり泣き上戸とまでいかないけど、結構、愚痴を言う癖があり、子供ながらそんなトミーズパパを見ていて
「こんなヨッパライ大人にはなりたくない…」
「俺は呑兵衛にはならないぞ」
と幼い子供心に誓ったものです。
トミー爺はなぜ晩酌が好きになったのか?
幼心に「俺は呑兵衛にはならないぞ」と誓ったトミー爺、二十歳くらいで一人東京に出てきて一人暮らしを始めました。
そのころお酒を飲む機会もあったのですが発見したのです。
「俺ってお酒が強いかも…」
「俺ってお酒が嫌いでないかも…」って
あれほど「俺は呑兵衛にはならないぞ」と誓ったことも忘れて、そして人間って自分に都合よく考えるものですよね、、、
「俺はキレイな飲み方が出来る男だ、トミーズパパとは違う」
結局は蛙の子はカエル、、、
その時から毎晩、晩酌で大き目のコップに氷を沢山入れて、そしてウイスキーのオンザロックで寝酒を飲んでいたんです。
なんか一人でお酒を飲みなが今日あったことを、これからの事を考える時間を味わう?
そんな時間が好きになっていったんです。
年齢とともに量から質へと
若い時からお酒は飲んでいたけど「美味い」と思ったことはなかったかな?
皆さんはどうですか?
なんかお酒の味を楽しむというよりは「呑むという雰囲気が好きだった」
ただ、年齢を重ねてくると若い時の飲み方ではなく、お酒の味を楽しむように変わって来た自分にも少しずつ気づき始めました、、、、
日本全国の旨い酒をゆっくりと味わいたい
最近、カミさんと御寺参り、お遍路とかをしたり、今まで行けていなかった日本各地を巡り、そして地酒を堪能する…
そんな生き方にも憧れている今日この頃、、、
単に「オン、オフの切り替えの道具だったお酒」から「味わうためのお酒」そう思えるようになるまで44年かかりましたよ。
長いのか?短いのか?
そこは解らないけど、あと20年くらいは生きれるのかな?
死ぬまでお酒好き、、でいられるように、身体と相談しながら、呑兵衛人生ばく進していきたいと思っている今日この頃、、、
これからもお酒に関する事を紹介していきたいと思っています。
よろしくお付き合いください。